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2024_02
21
(Wed)06:00

Express Niseko final triple header(函館本線)

第三水曜日【師匠作品での更新】


C622+C623+C6215 急行ニセコ103レ 函館本線 二股〜蕨岱 1971.09.15

蒸気機関車が牽引する最後の定期急行列車となったニセコ号
長きに渡りC62による牽引(小樽〜長万部間は前補機が就き重連、長万部〜函館間は本務機のみ)が71年9月改正をもって
DD51に置き換えられ優等列車を蒸気機関車が牽く運用が消滅した。
それに伴いおりからのSLブームに加え人気者のC622が退くこともあって3重連による運行が7月から9月にかけ3度実施された。
7月18日と8月22日は104レの小樽〜倶知安間のみ3重連運用としての実施
牽引機はC622+C6215+C6216が各日とも担当となり前々補機となったC622が倶知安で切り離され
函館を朝出発した小樽行きD51の牽く121レの前補機として小樽まで回送された。
一方9月15日の3重連は104レをC622+C623+C6216で小樽〜長万部間での運用
C6216は本務機として104レを蒸機牽引最後の急行として函館まで届けた。
前日の本務機であったC6215は103レを牽き函館を発し長万部で待つC622+C623との3重連でファイナルを務めた。
この最終最後の急行ニセコ牽引に際してはニセコのヘッドマークが掲示されての運行となった。
2021年秋に京都博物館でC622にそのヘッドマークを掲示の上で展示され話題となった事が記憶に新しい。
(3重連往時の鉄道ジャーナル誌の表紙にもヘッドマーク掲示シーンが収められた)

さて今回の師匠作品、そのファイナル3重連を復路撮影の名所とも言える二股川橋梁で捉えたものです。
この区間から蒸気機関車が消えたのは2年後の秋。
牽引機はDD51に代わるも急行ニセコも希少な昼間客車急行として44系から14系客車への向上を図り運用、
函館から小樽岩見沢方面を繋ぐ客レや特急北海などと昭和61年秋まで存続した
一世を風靡した急行ニセコの最終運行は昭和61年10月31日であり何のセレモニーも無い寂しい終焉
一足先に鉄道郵便と鉄道荷物が終焉したため14系客車4Boxだけで一層の寂しさを与えた。

北海道新幹線の札幌延伸に伴う在来線の存続問題により山線廃止の上バス転換で沿線自治体が合意していると聞く
いずれこの区間も一足先に消えた蕨岱の駅同様自然に還る日が来るのであろう。

COMMENT 6

マイオ  2024, 02. 21 (Wed) 10:44

最後の栄光

かくして北の蒸気牽引急行列車は終わりぬ、ですね。蒸気牽引優等列車はこのあと南の日豊本線宮崎と都城間で日南3号で再登場。そして陸羽東線の迂回つがるでも限定登場します。
ただ、やはりなんてったって♪シロクニ。それも同機種三重連。1972年10月に東北本線奥中山で定期貨物列車をD51三重連が牽引というスペシャルイベントがありましたが、この頃の鉄道イベントは気合い入りまくりでしたね~
なお、北海道では石北本線北見と網走間の大雪崩れという優等列車編成をC58が牽引するスジがありました。が、あくまでホントの優等列車ではなかったので、キャッツアイならぬ割愛です。(これだけ書いといて割愛もないもんだ)

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ひぐま3号  2024, 02. 21 (Wed) 18:00

マイオさん

コメントありがとうございます😊
1ヶ月はホントあっという間に過ぎて第三水曜日
結構、この師匠作品の検証って大変な作業でして雑多に追われるとなかなかPCに真摯に向き合えず
今回は一番楽な撮影日も区間も解るお手軽ネタを使わせて頂きました〜
日豊線の日南に罐を用いたのは「ディスカバージャパン」のニセコ亡き後はどうぞ九州へ的な観光誘致ではと思えてなりません(所謂国鉄の釣りね)
三重連も九州はC612を用いて実施、確か四重連も行った様な…これも柳の下の泥鰌では?なんてね。
大雪崩れも迂回も入れちゃうなら狩勝52号とか札幌発の夜行急行の季節臨も札幌〜滝川間がD51充当って言うのもありましてねぇ…
まあ、キリがないのでここは定期急行客レと言う事で北のニセコ、南の日南ってククちゃいましょう。
気合いの入れ方が違ったのは道総局でしょうね。D52、C57、C55で重連、C62とC58は三重連を道内各地で僅か2ヶ月間の間で実施ですから。
D51は重連が普通に走っていたからキャッアイだったのでしょうね。

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福臨鉄  2024, 02. 21 (Wed) 18:11

最終日の二股

最後の夏の3重連、何号機がその任にあたったのかいずれ機会があったら
誰かに聞いてみようと思いつつ何十年も経ってしまいましたが、↑こちらで
よくわかりました ( ..)φメモメモ
最終日の二股はこんなだったんですね。この地、私も前月10日に撮った
プリントが残っていますが、その日の何倍もの人出だったことでしょう。
客車の急行ニセコは終焉近い頃当時住んでいた八戸からはつかり、連絡船、
北海で倶知安、バスでワイス温泉と乗り継ぎ撮りに行きましたが、DDの
単機になっていました。
話は飛びますが、平成初めのプリントを整理していたら函館のレイルファン
クラブの例会で上磯のセメントや青函運転区見学会の写真が出てきました。
私もですが、ひぐま3号さまもお若いv-8 函館の近況はO氏の
ブログで日々拝見しています。

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koppel-2  2024, 02. 21 (Wed) 18:38

ひぐま3号さま やっぱ凄いなぁ 師匠も震えたでしょうね。M澤さんもシャッターが早まってしまったと記していますね 倍以上の 7重連は撮りましたがなんだかなぁでしたよ。時代が違い過ぎますね。羨ましい限りです。

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ひぐま3号  2024, 02. 21 (Wed) 20:15

福臨鉄さん

コメントありがとうございます😊
C62重連による急行ニセコを撮りに行かれていること羨ましい限りです。
71年9月改正でDD51置換えとなった後の72年6.7月に2号機と3号機による重連でDD51に渡したニセコの任をファンサービスとして
運用に充てたと言うことを後年しかもずっと後に知り、その頃は既に汽車の写真撮りを始めて頂けに残念至極でした。
DD51の14系で運用された最後のニセコ、倶知安方に撮りに行った10月初旬は重連でしたが鉄道荷物と鉄道郵便が廃止された後は単機運用でした。
函館時代…もう30年以上昔、あの頃はまだ20代で体力もあり(髪の毛も・笑)銀箱二つに2組のフルセット機材の詰め込を背負い
金五郎山を駆け上がるパワーがあったんですけどねぇ〜今じゃちょっと歩くだけでゼイゼイ言ってます(笑)

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ひぐま3号  2024, 02. 21 (Wed) 20:21

koppel-2さん

コメントありがとうございます😊
お陰様で蒸機の重連は幾つか撮ることが出来たのですが三重連は経験無し。
しかもC62が3丁って緊張どころではないでしょうね。そんな経験をしてみたかったものです。
そうそう秩父のデキ5重連ってのはあるのですが、緊張?全くで笑っちゃったほどでした〜
ナローの7丁綴りもそれはそれで立派なものだったのではございませんか。当日行っていない人目線ですけどね(笑)

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