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2023_10
18
(Wed)06:00

最東端を目指す441レ(根室本線)


第三水曜日【師匠作品での更新】


C5833 441レ 根室本線 別保〜上尾幌 1972.04頃(推定)

根室に向けた郵便や荷物を積み込んだスユニやマニは常磐貨物支線の隅田川を発して東北本線で青森へ
青森からは青函連絡船で海峡を渡って函館に着く。
函館から急行ニセコ3号(103レ)に組まれ札幌に向かい札幌到着後は21時過ぎに発車する急行狩勝(417レ)にリレーされる
急行狩勝4号は翌朝6時過ぎに釧路到着となりDC急行ノサップを行かせた後の後続列車となる441レに引き継がれ4日がかりで根室に着く

この画、その441レであるが尾を引く煙と蒸気で編成後部に連結されているスユニとマニは見えない。
この画を初めて見たのが半世紀以上前の事、それ以来ずっと釧路に向かう列車だと思い込んでいたのだが
今回、スジを調べたり地形図から立ち位置を探したりしていて客レ(混合列車)は1往復であり
郵便車荷物車が機関車の次位に付くのは釧路行きの編成である事が判った。
この画、機関車の次位はハザの客車であり半世紀に及ぶ思い込みが間違った思い込みと知らしめられた。
そうなると立ち位置も当初は上尾幌側の橋梁からだと思っていたものが別保側であり背景の小さな山が見えることもあり
トンネルを抜けて2つ目の橋梁を南側の斜面から撮ったものではないかと。
推定の撮影時期も72年の11月に初見しておりG2デフ換装にJNR切文字装着で線路端イタドリなどが倒れているが雪が無い
そうなると3月下旬から4月下旬にかけての風情ではないこと言う事で推定の根拠としています。

この441レ返しの444レは混合列車と言う事で後尾に貨車が付くこともあったらしく郵便や荷物の取り扱いを止めた国鉄末期まで
C58からDD51に置き換わっても存続していた列車でした。

COMMENT 6

マイオ  2023, 10. 18 (Wed) 08:10

こんな力行区間だったとは

今年2月に初めて訪問した上野幌。
DC撮影だったこともあってか、勾配にはほとんど気づかず。
別保方は確かに丘陵地帯でしたが、ここまでの力行区間だったとは。
この写真を見てから訪問すればまた別の感慨も湧くような。

現役蒸気時代の釧路から根室の区間は、どうしても別寒辺牛湿原の写真ばかりがSNSでも多く見られますが、なかなかどうして。
こちらも雰囲気ありますね~。

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ひぐま3号  2023, 10. 18 (Wed) 13:15

マイオさん

コメントありがとうございます😊
今年皆で出かけた上尾幌に郷愁感じていたのはこの「東線伝説」に色濃く影響を受けていたからです。
この区間、尾根越えの連続でアップダウンを繰り返すちょっとした峠越え区間
尾根越えのトンネルが3ヶ所あり釧路区のC58に施されたデフから煙突上部を経由して弧を描くツララ切りはこのトンネルの為に施された装備です。
釧網線にも釧北トンネルがありますが北見区のC58も走っており同区のC58には施されていないので別保上尾幌間の為と解ります。
我らが師匠は専らこの区間を主戦場としており撮られた数々の名シーンはマジで白眉モノです。
友曰くその白眉モノを世に知らすのがこのブログの使命と。今後もこの白眉シリーズをお届けしますのでお楽しみになさってください。

年明けにキハ54求めてこの界隈に行きますか〜(笑)

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koppel-2  2023, 10. 18 (Wed) 15:02

ひぐま3号さま この区間は花咲線と云うんでしたっけ 罐のなくなった後に先輩達と乗車したのはS52/2でした。その後は未踏です。現役当時も未踏だったので、師匠の主戦場作品には興味津々ですね。33号機でのこの区間での撮影は初めて見てみた気がします。

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ひぐま3号  2023, 10. 18 (Wed) 16:17

koppel-2さん

コメントありがとうございます😊
JRに移行してから一部の路線で運輸営業所体制が敷かれ花咲線運輸営業所が発足
それ以降、花咲線と呼ぶようになり根室東線(俗称)にしっかりと愛称がつきました。
札沼線の学園都市線も同じ時期かなぁ、日高線運輸営業所発足も優駿線とは呼ばれず快速優駿号が走ってましたっけ。

今年の2月に上尾幌に初見参しました。過疎化で駅周辺集落は減っている感じでしたが駅舎は往時のままらしく
大きさからこの地の主要駅だった様子が伺えました。
師匠の画の在庫は山ほどありますのでお楽しみに。
画を貼るだけならドンドン行けるのですが一応検証して何某かのテキストを用意するとなると月一ペースとなってしまいます〜

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福臨鉄  2023, 10. 18 (Wed) 19:15

煙りが尾を引き客車が見えない!!

私も覚えがありベタ焼きの綴りをあたりました。
1974.3.23落石~別当賀、背景に海が入るように低い丘の上に立って
444列車を撮ろうとした時のこと。客車も海も煙に隠れましたi-238
午前中の下り列車は混合も貨物も煙なしでしたが。
どうしても国鉄の最東端に先っぽの区間に足を延ばし翌日は根室の街歩きに
東根室駅付近で蒸機撮り、混合列車は33号機が来ました。2日間で出会った
写真撮りの人は落石で1人だけ、最果ての区間なら厚岸~糸魚沢なのかもと
思ったものです。普通列車はキハ21、出入り口と椅子の間がアクリル板で
仕切られていてびっくりしました。
↑ 場所や列車の推理の過程が細かに明かされ素晴らしい!!v-424
半世紀も前のことで車窓に広がる景色の記憶も薄くなりましたが、別当賀に
近いあたりは ↑ こんな風だったか。。。33号機力走の姿に思わず拳を
握りしめましたが、何やら人跡未踏の地に思えOSO18みたいなのが突如
現れそうで怖いi-182 通い込んでいればこういう場所で迫力ある
画が撮れるんですねぇ。根室まで荷物車、郵便車は途中船に乗り4日がかり
最果て感いっぱいです。いっそ、狩勝の寝台車も根室まで行けばよかったv-8
花咲線になってから廃止された駅もあるようですね。





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ひぐま3号  2023, 10. 18 (Wed) 20:13

福臨鉄さん

コメントありがとうございます😊
最果てイメージは宗谷方面より根室東線の方があるように思いますよね。
自分もそう感じておりますが、その感覚と人気度の違いは如実で方や海の向こうに利尻富士
そこに1750のスポーク動輪のC55がやって来る。しかも9600だってやって来る。
花咲線と来たら罐の人気度では低ランクのC58だけで何も無いと言う風情はあれど特に明媚なものは無いと来たら
わざわざ時間を割いて訪れる方も少なかった様です。そこに訪れている福臨鉄さんは凄いっす!
OSO18、実際この界隈を闊歩し最後は厚岸の近くで駆除されたようですから山に入れば遭遇も。
ただヒグマの増加はここ20数年前からの春グマ駆除を止めてから個体数が大幅にぞうかしたようですので
この罐が走っていた時代はこの辺りは闊歩していなかったかもです。
我が部屋に根室始発で函館まで一日かけてロングランした気動車急行ニセコのサボと愛称板があり眺めては悦に入ってます。
花咲線で廃止になった駅と言えば初田牛だったと思います。

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