15号機の牽く急行ニセコ1号(函館本線)

C6215+C62(機番不明、おそらく3か16号機) 函館本線 小沢〜倶知安(多分) 1971年の夏頃(これも多分)急行ニセコ1号(104レ)
第3水曜日ですので師匠の画を用いての更新です。
当初予定していたのが根室本線のC58画でしたが6月21日とあってはC62でしょうと予定画を変更
しかも621とするには往時呉線から転じて来た15、16号機であれば621と数字が並ぶとあって
この15号機が前補機を務めた際の画を用いてみました。
この画…
時を遡ること51年ほど前、師匠から全紙に焼いたプリントを頂いた画でした。
2号機のパネル貼りを頂いた際にパネル化していない全紙焼きのプリントの中からも一枚頂けることとなり
根室本線のC58やC62三重連などの画の中にこの15号機の画を見出し迷わずこれって選択した画でした。
自作のパネルをこさえて2号機のパネルと共に自室に飾っていたものでした。
さて、この15号機先述の通り呉線電化による余剰で糸崎機関区から僚機16号機と共に
全検切れとなる32、44号機との置換えのため 1970年10月に小樽築港機関区へ転属となったC62
その際、重油併燃装置、従台車、テンダーが15号機には44号機、16号機には32号機の物が流用されたとのこと。
さらに1971年5月実施の中間検査では動輪のタイヤも同様に流用したと、とあるHPに記載されている
動輪四方山話
C622の動態保存を記念して小樽築港機関区にC62の動輪記念碑が造られたのだが
この動輪は何号機のものなのか論議が呼んでいた。
44号機のものと言う説と動輪流用により15か16のものだと言う説
1972年8月に小樽築港でこの動輪碑を撮っており、その際のメモに44号機と記載しているのだが
刻印を見たのであろうか今となっては何の記憶も無い。
(後年、築港機関区廃止に伴い動輪碑は小樽駅横の運転区事務所前に移設されているが刻印は現認していない)
で、15号機の動輪は…

東京駅のコンコースに飾られて半世紀、これも本当に15号機のものなのか?
動輪のタイヤを流用と動輪を流用では一部と全部の違いが…
でもゴムタイヤじゃあるまいし鉄輪をイチイチ外して入れ替える?
どの道、解体であり鉄屑となる動輪であればサクッと動輪ごと入れ替える方が手間がかからないではないか。
このタイヤ入れ替えか動輪ごとの入れ替えかが号機特定できない所以。
何方にしてもC62の動輪には変わらずなんだからイチイチ気にして論議する必要ナシって思うのですが…
拘る人は拘るんですよねぇ…
さらなる余談…
いつぞやC6215のキャブ掲載ナンバープレートが売りの出されていた。
流石に本物らしくウン百万円の価格。
欲しいか?と訊かれたら…小林製薬(あったらいいね)
でも値段はニトリ(お値段異常)って事で。