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2023_06
21
(Wed)06:00

15号機の牽く急行ニセコ1号(函館本線)


C6215+C62(機番不明、おそらく3か16号機) 函館本線 小沢〜倶知安(多分) 1971年の夏頃(これも多分)急行ニセコ1号(104レ)

第3水曜日ですので師匠の画を用いての更新です。
当初予定していたのが根室本線のC58画でしたが6月21日とあってはC62でしょうと予定画を変更
しかも621とするには往時呉線から転じて来た15、16号機であれば621と数字が並ぶとあって
この15号機が前補機を務めた際の画を用いてみました。

この画…
時を遡ること51年ほど前、師匠から全紙に焼いたプリントを頂いた画でした。
2号機のパネル貼りを頂いた際にパネル化していない全紙焼きのプリントの中からも一枚頂けることとなり
根室本線のC58やC62三重連などの画の中にこの15号機の画を見出し迷わずこれって選択した画でした。
自作のパネルをこさえて2号機のパネルと共に自室に飾っていたものでした。

さて、この15号機先述の通り呉線電化による余剰で糸崎機関区から僚機16号機と共に
全検切れとなる32、44号機との置換えのため 1970年10月に小樽築港機関区へ転属となったC62
その際、重油併燃装置、従台車、テンダーが15号機には44号機、16号機には32号機の物が流用されたとのこと。
さらに1971年5月実施の中間検査では動輪のタイヤも同様に流用したと、とあるHPに記載されている

動輪四方山話
C622の動態保存を記念して小樽築港機関区にC62の動輪記念碑が造られたのだが
この動輪は何号機のものなのか論議が呼んでいた。
44号機のものと言う説と動輪流用により15か16のものだと言う説
1972年8月に小樽築港でこの動輪碑を撮っており、その際のメモに44号機と記載しているのだが
刻印を見たのであろうか今となっては何の記憶も無い。
(後年、築港機関区廃止に伴い動輪碑は小樽駅横の運転区事務所前に移設されているが刻印は現認していない)

で、15号機の動輪は…
20230620103240550.jpeg
東京駅のコンコースに飾られて半世紀、これも本当に15号機のものなのか?

動輪のタイヤを流用と動輪を流用では一部と全部の違いが…
でもゴムタイヤじゃあるまいし鉄輪をイチイチ外して入れ替える?
どの道、解体であり鉄屑となる動輪であればサクッと動輪ごと入れ替える方が手間がかからないではないか。
このタイヤ入れ替えか動輪ごとの入れ替えかが号機特定できない所以。
何方にしてもC62の動輪には変わらずなんだからイチイチ気にして論議する必要ナシって思うのですが…
拘る人は拘るんですよねぇ…

さらなる余談…
いつぞやC6215のキャブ掲載ナンバープレートが売りの出されていた。
流石に本物らしくウン百万円の価格。

欲しいか?と訊かれたら…小林製薬(あったらいいね)
でも値段はニトリ(お値段異常)って事で。



COMMENT 6

マイオ  2023, 06. 21 (Wed) 08:50

パネル貼り

全紙のパネル貼りは高校生時代に自分の写真から何枚か製作しました。
どのコマだったか記憶にあるだけで4枚。そのうち2枚が未だに手元にあります。
大先輩の写真展にお邪魔した際に「頼むから額が邪魔なので引き取ってくれ」と
言われて、私も自宅がぐちゃぐちゃ状態で丁重にお断りしたのが
今も悔やまれます。

お写真は山線オンチの私ではちんぷんかんぷんですが、ジェット爆音が聞こえる
ような一枚。何回か友人I君撮影の山線8ミリ画像と録音を楽しませてもらいましたが、あらためてジェット爆音を聞かなかった悔しさが募っております。

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ひぐま3号  2023, 06. 21 (Wed) 14:25

マイオさん

コメントありがとうございます😊
その昔はパネル貼りの写真やポスターを部屋に飾るのがテッパンでしたよね。
撮り活第3世代(デジ移行で3度目の活動期)に入った頃、1975年12月撮影のC57135サヨナラや夕張線のD51の写真を
全紙に引き伸ばしてパネルに貼りナンバープレートやら愛称板や行先表示のサボなどでガラクタ鉄部屋と化した自室に飾ったものでしたが
引越しの際、断捨離って事で廃棄しました〜今はその手のモノ(パネル)は一切なしです。

C62のジェット音、復活ニセコ号でも「シュシュシュシュ」と連続したドラフト音を奏でてかっ飛ばして来た事もありましたが
重連時代のジェット音(レコードで聞いて育ったもので)の迫力には及びませんでした。
一番記憶に残るジェット音はC57135のサヨナラ列車を待つ際に千歳空港を飛び立った自衛隊機のF4ファントムの爆音
この音が去った途端に今度は報道各社のヘリの音と共にC57登場ってシーンですわ。
そうそう2007年の只見でもF15Jの爆音が頭上を過ったのを記憶しております〜

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koppel-2  2023, 06. 21 (Wed) 15:29

 ひぐま3号さま この後師匠はドレインを浴びたのですかねぇ 自分の部屋にもC62重連小沢発車のポスタ-が貼ってありました。パネルの方は小海線の野辺山-清里の定番の鉄橋でした。ジェット音は体験できていないです。自分の世代ではC62牽引の急行ニセコを撮影で来た方はそうはいないと思いますねぇ。少年ジェットは再放送で観ていましたが・・・

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福臨鉄  2023, 06. 21 (Wed) 20:24

遠い記憶 急行ニセコ

お師匠さまと東京駅の画の連続に脳天くい打ちパイルドライバーを喰らった
ような衝撃を受けていますv-355 文中にあるC62の謎、北海道
での活躍が終わりだいぶ経ってから聞いた覚えがあります。
15号機が前の上り急行、私が撮ったのは71年8月9日、後に「小沢看板」と
呼ばれた場所でです。その前々日、小沢峠下までバスで行き199キロ近くで
待ち受けました。線路に轢かれたヘビがたくさんいて具合が悪くなりました。
遠くから汽笛、聞いたこともない異様な音の列車が近づくにつれ手も足も
震えて「あっ!2号機だぁ」 列車が見えた所でシャッターを押してしまい
ました。カメラはEEカメラのペトリカラー35EにネオパンSS、三脚
などありません。肩掛け布バックにリュックサック、坊主頭の中学生が遠足
に行くような恰好でした。上目名、二股に長万部発車など撮りました。
子供ながらに大人になったらウンと稼いでいいカメラを買わなくちゃと心に
決めましたが、実際には夜の繁華街で大半を費消することに。情けない!i-240
上目名駅で鉄道電話を借りて父と連絡を取りました。電話を借りたお礼に
旅行券を買いました。いま収集品の箱を開けたら50円券が一枚残って
いました。
夏なので現代でいう「爆煙」というほどではないにしろ峠道を駆ける音に
通過時の地響き、便所からの落下物の強烈な臭い、視覚、聴覚、身体感覚は
忘れることができません。
話は飛びますが、初めて乗った連絡船、スタンプ台が緑だったのと売店で
道内時刻表というものすごく詳しい時刻表が売られていてビックリ!でした。

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ひぐま3号  2023, 06. 21 (Wed) 21:10

koppel-2さん

コメントありがとうございます😊
おそらく師匠はドレンの他にシンダを浴びたのではと思います。
C62ニセコ号を線路端で撮った時に大粒のシンダをいつも浴びてましたので重連だと2倍の量だったのではと思うところです。
Koppelさんもパネルにポスターとはやはりあの当時のテッパンアイテムですね。
C62の急行ニセコには幼き頃に乗車はあれど撮影は出来ませんでした。
急行ニセコからC62が消えた46年の秋に朝日新聞社から出刊されたレコード付き画集を買ってもらったのがこの趣味の入り口でした。
少年ジェットは貸本屋で漫画を読んだ事がありますがTVではスーパージェッター、宇宙少年ソランの世代です〜

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ひぐま3号  2023, 06. 21 (Wed) 21:44

福臨鉄さん

コメントありがとうございます😊
重連ニセコ号撮影に赴いた経験、羨ましい限りです。
この15号機先頭重連、恐らく7月に走った三重連の日の前後では無いかと思うのですが特定できずです。
福臨鉄さんも15号機先頭の重連をお撮りとのこと、ますます羨ましい限りです〜
上目名に二股…ちゃんと要所を押さえていますね。情報通な中学生だった様ですね。

中学時代に殆どの蒸機が消え高校一年で最終。あの頃の不完全燃焼が社会人になっての復活C62で大爆発してしまい
機材の購入には糸目をつけず(と言っても手の届く範囲の事ですが)金欠病に陥りました(笑)
上目名は既に鬼籍に入り今は線路以外の形跡もない様です。そこで得た経験も購入した旅行券もいい思い出でですね。

駅スタ、赤や青、緑って言うのがありましたが連絡船も緑だったのですね。
道内時刻表、駅以外の乗降場の時刻も記載されていて便利でしたね。
今手元に1988年と89年の二冊を持っています。ビミョーに違いがあり前者は交通公社、後者がJTBの表記ですが
なんと言っても昭和63年と平成元年の違いが大きいです。中身はこの一年で天北、名寄、標津の3線が地図から消え
池北がちほく高原鉄道銀河線の表示。どちらも8月号でC62ニセコ号の時刻が出ていますよ〜

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