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2023_05
17
(Wed)06:00

100周年記念仕様の33号機


C5833 根室本線 東釧路〜釧路 1972.09頃

第三水曜日と言うことで…師匠ネタの更新です。
C5833が385から後藤デフを移植したのが1971年の8月末頃
のちにJNRの切り文字をデフに施し梅小路入りした1号機に代わるスター機に祭り上げられた道東のスター33号機
取り分け普段より一層のおめかしをしたのが1972年の秋、
鉄道開業100周年記念行事としての釧路機関区一般公開での展示に向けたお洒落で
煙室扉ハンドルを砲金製の十字タイプに換装しナンバープレートを赤地としスター後継としての晴れ姿仕様に。
今回の画はその姿で本線運用に就いた時の模様です。

このお洒落仕様は短期間で元に戻されナンバープレートは深緑地となり
1974年7月の根室.釧網線のDL化に伴い北見機関区へ転出し1975年3月いっぱいまで石北本線での活躍後に廃車
釧網線沿線の町、清里町の羽衣公園で保存となっています(保存の際にナンバーを赤地としてます)

その100周年記念の機関区公開時にD51293も展示されているのですがこれがまたミステリアス
前年の71年夏までは白糠線の貨物(運炭列車)用にD51710が釧路に配置されていたのですが追分へ転出し1972年には配置ナシ
展示された293は追分機関区所属のギーゼル機、書類上の廃車が同年12月と言うことで…
もしかすると(あくまでも個人的な仮説)
追分機関区に710号機を展示用に貸してと頼んだら罐に余裕なくニトメとなっていた293を貸し出したのでは?
なんて半世紀も前の出来事を一枚の画から関連して想像するのも楽しいものですね。

結構いい加減な時期記載などしていますので纏わる情報をお持ちの方は是非ご教示頂けると幸甚です。

COMMENT 6

マイオ  2023, 05. 17 (Wed) 07:35

釧路時代の33号機!

鉄道開通100周年の記念行事は釧路でも張り切ってたんですね。
もっともC581号機を梅小路に転出させた後だけに、後継スターのお披露目式でも
あったのか。ここでも切り欠きデフがスターの装備として不可欠だったんですね。

遠く南の端だと・・・C612が梅小路に転出し、お召し機となったC57117が一躍
スターとなりましたが、やはり切り欠きデフに赤プレート、ランボードの白線が
くっきり。
もちろん煙室扉コックは砲金製(十字だったかは?)。
これが当時の国鉄のスター装備のデフォルトだったのか。

それにしても釧路にD51が配属されていた???それは初耳でした。

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koppel-2  2023, 05. 17 (Wed) 11:06

ひぐま3号さま 自分も33号機は撮りましたが、保存機が赤ナンバ-プレ-トとはしりませんでした。72/9かぁ~中学3年生の小僧で八高線や東海道で撮影して、高校生になったら北海道へと思っていました。この頃は1学年違うと観られた罐や形式が随分違う頃でして 師匠は飛び回っていたのでしょうね。身近に師匠が居た事が、ひぐまさんの趣味の広がりに多大なる影響があったのでしょう。

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ひぐま3号  2023, 05. 17 (Wed) 22:22

マイオさん

コメントありがとうございます😊
そうですね、鉄道100年頃の国鉄、道内の管理局はそれぞれ記念行事に力を入れていたようです。
当時、道内には正式な門デフ機は居らず、長野工デフのD51とこの後藤工デフのC58だけでした。
C612に代わるスターC57117説、なかなかの着目ですね。お召機になるほどですものね。

釧路のD51、池田や新得からD51が消えたあと白糠線の茶路で採炭された石炭を釧路港へ運ぶ貨物の牽引用に配置されたらしく
1968年から71年まで4両のD51が配置されていたようです。茶路には転向設備がなく逆機での運転だったようです。
とある写真集でその白糠線でセキを牽きバック運転するD51の画を見た時は驚ました〜

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ひぐま3号  2023, 05. 17 (Wed) 22:34

koppel-2さん

コメントありがとうございます😊
羽衣公園に33を見に2度ほど行きましたがいずれも赤プレ
聞くところによると設置の際から赤プレとして保存開始したようです。
現役時代、池田機関区で見た際は深緑の地色でしたが一部にその下の赤地が見える箇所があったことを覚えています。
師匠はホームグランドが根室本線の別保、上尾幌。C62重連は無くなると聞いて出かけられたそうです。
それでも三重連や15号機先頭の重連とか結構撮られています。
お陰様で私と今回師匠のネガをデュープしてくれた竹馬の友のN君は師匠の影響をモロに受けておりますねぇ〜

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福臨鉄  2023, 05. 17 (Wed) 23:18

C5833

お師匠さまの手になる作品は東釧路駅でしょうか? この時代ならまだ釧路臨港
鉄道がこの駅から出ていた。。。釧路機関区で鉄道開業100年で一般公開が!
よそさまよりずっと遅れて高校受験の勉強を始めたため100年記念の行事は
全く記憶にありませんが、かなり活躍の場が狭まったとはいえ国鉄蒸機が健在
だった時代ゆえそちこちで蒸機列車が走ったようですね。
40年前廃止になった白糠線ですが、釧路出身の元職の同僚から頂いた釧路市立
博物館の冊子によれば沿線に炭鉱があったようで運炭列車はどんな機関車が牽い
ていたのか気になっていましたが、D51が牽いていたんですかぁ。
C5833、1974.3.21北浜から標茶まで同機が牽く列車に乗りその3日後に
東根室駅近くで上下の4〇〇列車を撮りました。現在まで保存されているとの
こと。本県三春町のC58のようにいつの間にか解体といったことにはゆめゆめ
ならないように願います。(磐東線からは煙室扉のような物が見える)

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ひぐま3号  2023, 05. 18 (Thu) 11:01

福臨鉄さん

コメントありがとうございます😊
はい東釧路駅の発車シーンです。この画をはじめ師匠の画は一切のキャンプションが無く撮影区間や日時の特定が大変!
この画は周辺に映り込む情景から仮説が立て易く往時の航空地形写真を用いて周辺情景との符合を行い特定しています。
まあ、ヒマじゃなきゃ出来ない所業ですわ。
鉄道100周年はSL終焉計画の発表と相まって一大ムーブメント化されていましたね。
百貨店の催事で「さよならSL展」が催されるは、あちこちで記念運行が行われるとか凄かった記憶でいっぱい。
それと比べて150周年と来たら…余りにも寂しいものでしたね。
白糠線はD51による運行であったことは写真集に掲載された画から知っておりましたが
この茶路炭鉱の閉山が白糠線の運命を絶った主因でその後は大赤字路線の覇者となり消えて行きました。
この白糠線を延伸し池北線の足寄、本別を経由して士幌線の上士幌に繋ぎ、更にそこから根室本線の新得に通じる
北十勝線と言う路線計画があり工事予算が付いて一部で工事が開始されるも白糠線の存続が厳しくなって工事凍結という
地元民じゃなきゃ知らない地味〜な話もありました。

33号機、外観はそれなりなるもキャブ内などは荒れ放題、屋根付きとは言え危惧種になりかけているようでした〜
10年位前の姿です↓
https://blog-imgs-57-origin.fc2.com/h/i/3/hi3nao/20130623-IMG_3533.jpg

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