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2020_04
28
(Tue)06:00

STAY HOME


C623 小樽運転区 1990.07.14

使用機材
カメラ MAMIYA M645SUPER
レンズ Mamiya SEKOR C80mm f/2.8

コロナ君が国境を越えてやって来て早2ヶ月
暫く厄介になりますわと、あっちこっちにホームステイするもんだから
おもてなししなさいと我らがスティホームと言われちゃ
大人しく「おうちに居ようよ!」ですね〜






COMMENT 4

koppel-2  2020, 04. 28 (Tue) 09:26

ひぐま3号さま 77.2~3初めて厳冬期の渡道でした。後期試験が終わりOさんと八甲田で出掛けました。罐撮影は新日本製鉄室蘭製鉄所と築港と苗穂工場でしょうか。 太平洋炭鉱のナロ-電機を半日くらい訪問しましたよ。 ここはガンガン来ましたねぇ そうそう築港では機関区食堂で昼食を取りました。3号機の煙室扉を開け Oさんが8m/mを撮影していましたっけ。札幌でAさんと合流し3人でスナップや記撮ばかり撮ってましたよ。追分は寄らなかったのが今更ながら悔いが残りますよ。
 復活ニセコの時は広大な跡地は線路も剥がされ寂しかったですねぇ。stay home 最近犬に言っても従わなくなりましたが、我々は大人の休日倶楽部で皆で我慢しないとね・・・ 
それにしても 綺麗な画像ですね。

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ひぐま3号  2020, 04. 28 (Tue) 21:27

koppel-2さん

コメントありがとうございます。
昭和51年の2月に渡道でしたか。この時点で煙を吐いていたのは鉄原コークスと追分のキューロク、そして銭湯でしょうかね。
もっともこの昭和の時代、まだ暖房は石炭ストーブも多く各戸建ての煙突からも煙は出ていたと思いますけどね。
苗穂工場にはD5114や237にD611などが側線で雪を被って眠っていたのでは?で、築港のC623、昭和50年の夏に見に行った際、プレートが外され庫の中で屍となっていましたが恐らく2月でもそんな感じだったのではと思うところですが、如何でしょう?
JNRからJRに移行する際に小樽築港機関区が廃止となり東洋一と呼ばれた機関庫も空き家になり
ニセコ復活当初は構内もまだ往時の面影いっぱいでしたが、どんどん付随の施設や建物が撤去され90年10月には
最後の牙城となった扇形庫が潰されてしまい、今じゃホテルなどの大型施設などが建ちあの栄華は何処にです。
スティホームもこのGWは禁足令でかりそめのホームにスティホームです。
留まるとスティホームでお邪魔するとホームスティ? ならば空き巣はホームスチールでしょうかねえ(笑)

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マイオ  2020, 04. 29 (Wed) 15:57

C623がおうちに

いやいや、同じクラの中の罐でもC62が鎮座してると存在感が抜群ですね。
黒光りしてるというか。妖しい雰囲気さえ醸し出してます。
煙突の上が赤くなってるのは前照灯からの光の反射なのでしょうか。

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ひぐま3号  2020, 04. 29 (Wed) 21:33

マイオさん

コメントありがとうございます。
こいつとの付き合いが濃かったもので朝な夕なに追っかけ回し…
ん?ストーカー付きだから当然と。巧い!山田君うどん一杯!

で、煙突から赤いものが…
火車ですから。いえいえ、バルブ撮影のRDPゆえに色合いが変わるのと仰る通り前照灯の光が反射してでしょうね。
煙室下の赤い反射?それはパチンコ屋の看板の反射かと思います(まじでね)

STAY HOME は連鎖して皆でコラボして行ければと思いますがどうでしょう。

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