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2020_04
27
(Mon)06:00

小沢交換(函館本線)


C623 キハ54+40 函館本線 小沢 1988.04.27

使用機材
カメラ MINOLTA XD
レンズ ROKKOR MD50-135mm f/3.5

32年前の今日4月27日は函館本線の小沢に出向いていた。
1973年の132レ以来15年ぶりとなるC623の本線運行に向けた試運転が行われていたからである。

定刻10:50
C623が5両のスハフ44を牽く試9162レが先に小沢に到着すると
わずかな時間を惜しむように検修スタッフが軸発熱などのチェックを始める
定刻10:53
キハ54と40の2連運用となる長万部発札幌行きマリンライナー3173Dが小沢に到着する
かつての岩内線分岐駅であり急行ニセコも停まる賑わいのあった小沢駅も
山線の凋落に合わせるかの如く寂れた無人駅と化したが昭和最終年のこの日この時
国鉄時代の賑わいを彷彿させるような列車交換シーンが見られた。

北海道特有のギャンブレル屋根だった小沢駅の母屋、上り列車の出発信号塔など
栄華を放った時代の構築物もこの直後に建て替えや撤去で消滅してしまったが
木造の跨線橋やホーム屋根などは今なお健在であり往時を偲ばせるレガシーとなっている。



COMMENT 2

koppel-2  2020, 04. 27 (Mon) 18:23

 ひぐま3号さま 岩内線のホ-ムは駅本屋出て直ぐだったのかなぁ~ 17:00頃に岩内から戻って来る2つ目9600が夕陽を浴びて山陰線の海の様にギラギラしていましたよ。自分も小沢で復活ニセコの発車撮りましたっけ ただニセコはギラギラしていませんでしたが、ニセコ山の家に宿泊して露天風呂で覗いた旅行客が夕食時に、当たり前ですが服を着て食卓についている姿を拝見し、お召し物を纏うとこんな姿になるのかぁ~と感心しましたねぇ。Aさんと服を着ると(スェットでしたが)こんな感じになるんですねと声掛けてみようかと悩んだもんです。何しろ酉年生まれで性格がチキンなものですから今でもイメ-ジトレ-ニングに出て来る旅の宿でした。 32年前ですか、76/4 追分機関区が漏電火災で241号機が昇天して当時札幌在住のAさんが新聞記事を持って来て鉄道研仲間とM澤さんとで追悼式を上野で開催しましたよ。I上ひさし氏の催行した力石10カウンゴングの追悼式のお手本があったので、これも実践的複写でしょうか?とM澤さんに聞くのは失念しておりまが・・・

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ひぐま3号  2020, 04. 27 (Mon) 23:13

koppel-2さん

コメントありがとうございます。
そうですね、岩内線は1番ホームでしたから母屋側改札抜けると岩内行き乗り場でした。
廃線後はレールが剥ぎ取られ無駄に跨線橋を渡る感覚が否めない構造となっています。
岩内線の2っ目キューロク、夕刻の便は倶知安に向けてD51の前に付き重連で倶知安峠を越える運用だったようですね。
ニセコ温泉、露天風呂って混浴でしたっけ?着痩せ?着太り?どっちに見えたのでしょう(笑)
追分機関区の火災はびっくりでした。朝のNHKニュースで見たときに衝撃を覚え北海道新聞に載った瓦礫とかした機関庫や焼けただれたD51に
目頭が熱くなり言い知れぬ悲しみに呑み込まれたものでした。札幌のTV局STVが制作した「きかんしゃ慕情」のラストシーンにも赤く燃える火災のシーンが使われていて後年またまた悲しさが蘇りました。
東京で有志による追悼式が挙行されたのですね。力石のテンカウントに倣うと短笛十声でしょうか?
それは実践的複写=模倣としたら、喪倣と言うべきでしょうね。

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