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2020_04
17
(Fri)06:00

C62モノクローム回顧

20200416211225951.jpeg
C623+スハフ44系5B 函館本線 小沢〜銀山 1989.05.21


使用機材
カメラ MINOLTA X700
レンズ ROKKOR MD200mm f/4.0+MD 2X TELE CONVERTER 300-S
フィルム TMY

C623が山線に復活したのが国鉄蒸機全廃から12年後であった。
そしてこのC623が再びの眠りに就いてからは四半世紀…
この画を撮ったのも30年前とあっては随分と歳を重ねたものです。

モノクロ撮影したC623、どのくらい撮影機会を重ねたのかと思い調べてみたら179機会
そんなにあるのに画として使えそうなものが少なく腕のなさに改めてがっかりです。

COMMENT 6

koppel-2  2020, 04. 17 (Fri) 09:31

ひぐま3号さま 流石地の利を得ていましたねぇ。自分は92GW~だからなぁ それでも5・6回行きましたっけ。鉄文協の彼を呼んで小樽集会をしたり、機関士さんの労を労いに花束の贈呈をしたり、レンタカ-にスワロ-エンジェルや鯉幟を付けたり遊んでいましたよ。当時の記念写真を見るとドラゴンズジャンバ-やダイエ-ホークスのジャンバ-を着て写っております。急行ニセコには間に合わなかったので、銀山-然別の206kmポイントでしたっけ M澤さんとご一緒した時は至福の時間でしたねぇ この撮影デ-タをみるとX-700 テレコンでドカンなんですね。自分もEF300mmを買いましたっけ 当時は少ないチャンスに出掛けるので国鉄現役当時同様カラ-も白黒も双方撮ってましたねぇ。機材に8mmVTRも加わり三脚も2本体制で弁慶の7つ道具の装備も車前提でしたから可能だったんですね。 くろくまさんには徒歩で行けよと云われましたが、彼 復活C62は参戦していないと思いますよ。 兎に角 変わっていない事に惹き付けられましたよ。

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ひぐま3号  2020, 04. 17 (Fri) 23:19

koppel-2さん

コメントありがとうございます。
はい、運行初年度から4年間は道民でしたので暇さえあれば山線へ馳せ参じておりました。
運転区へもちょくちょく出かけて機関士さん達とも交流ができ煙のサービスを受けたり
煙室のシンダに蒸された南瓜を頂いたりもしたものでした。
この当時は社会人でもあり車もあり更にはまだ体力もあって銀箱二つに35ミリ版とセミ版両方の広角から望遠までを詰め
背負子に括ってソフトバックにはVTRを入れて首から下げて三脚2セットで闊歩しておりました。
フル装備でヘルスメーターに載ったら27kgの重量って、それで追っかけして金五郎山を駆け上がったのですから
今思えば呆れるほどのパワー。その頃に使い切ったのか今じゃ出がらしのお茶状態です。
くろくまさんと以前、山線の復活C623の話をしたことがありますが、結局一度も出かけずだったらしいです。

非電化区間にヘッドマークもランボード白帯もなく旧客を牽いて走る蒸機列車って最高峰の存在でした。
急行ニセコの重連運転が山線伝説の第一章ならば、この復活運行は第二章ですよね。
生きている間に第三章があればなぁ…

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ぜっきあいず  2020, 04. 18 (Sat) 09:22

なんと真摯に向き合っておられたことか!!
>今じゃ出がらしのお茶状態・・・ってことは、当方の指摘も、さもありなん???(笑)

で、その気合十分のお写真ですが、後部までジャスピンの被写界深度から察するに、
結構絞り込んでの撮影と推察します。
MDの200は所有していましたが、こうして見るとなかなかの解像度だったのですね!

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マイオ  2020, 04. 18 (Sat) 10:53

私の無煙時代・・・

1989/5から復活C62が始まっていたんですねぇ。

1975から我が無煙時代が始まりましたが、このころは情報もなにもなく
(というより鉄情報を求めてない)、21世紀になってから復活C62が
走ってたことを知り、浦島太郎状態に改めて愕然としましたよ。

もっとも、1995-2000年は海外出稼ぎおじさんでしたから、知ってても
ダメだったろうな。現役時代から縁が無かったC62、せめてひぐま劇場で
楽しませてくださいな。

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ひぐま3号  2020, 04. 18 (Sat) 12:20

ぜっきあいずさん

コメントありがとうございます。
引用の真偽は別として「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉があるじゃありませんか。
それです、老朽化に伴うフィジカルが落ちるとバイタリティーも正比例で低下すると「気持ちはあるのですが…」「真摯に向き合いたいのはやまやま…」と
腰がひけて「勢いテキトー」になっちゃいます。
それではいかんと、この春から心機一転と思ったら汽車が走らんとはねぇ〜

このMD200は当たりモノ、思いの外キレが良くってこの画なんて記載の通り2倍テレコン装着でガッチリ来ましたからね。
因みにこの玉、中古でして6000円でゲットも大当たりでしょう(笑)
正面撮りでしたしテレコン噛ませているのでシャッター速度を下げてギリギリの絞りで撮ったと思います。

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ひぐま3号  2020, 04. 18 (Sat) 12:52

マイオさん

コメントありがとうございます。
北の大地、山線伝説第二章は1988年から1995年の8年間でした。
1975年12月の撮影をもって鉄の道から外れた私、その後1980年のC56による北海道鉄道開業100年記念列車撮りで復活も長続きせず
1986年6月の北海道新聞記事に出た「C623復活計画」に驚愕。おまけに秋には急行ニセコが消えることとなりスイッチがONへ
で、我が撮り鉄第二章が始まりました〜
まあ、この第二章も20世期末で終わり第三章は2007年からですけどね。

このコロナショックで撮りに行けずの期間は過去モノでやりくりせねばならず
自ずとC623の登場も増えるものと思いますがただでさえゼロに近いクオリティがマイナスにシフトするのはGDP連動と言うことでお許しを〜

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