44年ぶりの邂逅 Part 2
1975年4月に無煙化された帯広運転区
曖昧な記憶ではあるが櫛の歯が抜けるが如くDE10への置換えで堕ちていった
キューロク達を時系列に思い出してみた。
3月初旬 59683 転属を前提に1休
3月19日 59690 士幌線運用を最後に廃車前提の2止
3月末日 39670 59672 廃車前提の2止の上で東4条の砕石引き込み線に留置
4月1週目 士幌線、広尾線でDE10置換えに向けた協調試運転開始
4月2週目 士幌線上士幌運用、広尾線DE10に置換え
4月13日 59611 士幌線さよならロータリー号牽引
4月20日 49604 士幌線音更運用終了にて無煙化達成
5月3日 19671 9654 による広尾線さよなら列車牽引
2月末から3月にかけた労使交渉によりDL置換えの日が決まるとあれよあれよと言ううちに我が故郷の煙
愛しの数字だけの変な機関車達が消えて行った。
帯広運転区のキューロクによる最後の貨物を牽いた49604には少々思い入れが…
それは以前にブログ記事で記したが4月13日の士幌線さよならロータリー号を追っかけず
音更までの貨物を撮って我が故郷の無煙化を見送ることにしていたのだが
その貨物を牽いたのが49604であり、カメラ小僧が走るキューロクを初めて撮った際の罐も49604であった。

士幌線 木野〜帯広 1975.04.13(再掲)

池田機関区 1974.03.17

広尾線 愛国〜北愛国 1974.11.23(再掲)

士幌線 木野〜帯広 1973.11(再掲)
あの日、学校の帰り道小学3年生の目に止まった駅で佇む蒸気機関車
それが数字だけの変な機関車でありのちにそれがキューロクと言う機関車だと知り
毎日の日課とばかりに学校帰りにキューロクを眺めたあの頃
その日々が今の鉄道趣味の発端であり、もし仮に帰り道の途中に駅が無かったら
こんな趣味にハマってなんかいなかったと思える程の運命的なキューロクとの出会い。
それだけに59672のプレートが手に入って大喜びしたのも束の間
今度は49604の出物が…
「よせ!散財したばかりでは無いか!夢は44年にして叶ったじゃないか!」と真っ当なクマが叫ぶのをかき消すように
「59672と49604の44年ぶりの邂逅を成しとげよ!それが使命だから導かれたのだ!」と悪っクマが叫ぶ
気がついたらクリック一発で我が手に…

画してここにその使命を遂げてひぐまと59672と49604の44年ぶりの邂逅となったのであった。
(これを人は馬ッ鹿じゃね〜と呆れ果てるのでしょうね)

2019年のキューロクの日を前に次期機材購入資金として蓄えたヘソクリは古びた鉄板に置き換わったのでした〜
44年ぶりの邂逅 (完)