2015_02
    16
    (Mon)21:00

    ぴっかぴか蒸機(夕張線)

    20121214-IMG_4285.jpg
    D51603 夕張線 追分 9997レ 1975.12.14

    今日は現役蒸機牽引客レ終焉の日、1975年12月14日の画からピックアップ。
    これを牽くカマはD51603、ぴっかぴかであります。見るからに綺麗でしょ!?
    それもそのはず、同年10月3日に苗穂工場の最終検査中検Aから出場したばかりの姿。
    10日後の最終日も夕張線で貨物を牽き、クラのなかで眠る。翌1976年3月10日に廃車。
    同年4月13日の追分機関区の火災にて被災消失したという記録が残っています

    と言うことで、部分パクリさせて頂きました~くろくまさんありがとうございます。



    本日もお越しいただきありがとうございます。
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    昨年、トロッコ嵯峨野で残された前頭部を見た時は辛かったなぁ・・・

    COMMENT 6

    くろくま  2015, 02. 16 (Mon) 21:51

    ありゃ〜っ

    やられましたね(笑)
    いい光景です。
    どうにも斜光線での蒸機は美しい!

    末期の夕張では241号機に出会うことが多かったのですが
    この603号機にもけっこう遭遇しました。
    その名物の二両が焼けてしまうなんて……
    残された写真への思い入れは強まるばかりです。

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    風旅記  2015, 02. 17 (Tue) 16:19

    こんにちは。
    Wikipediaで追分機関区の火災の件を知り、その後にこの駅を訪ねたときに構内を見渡して見ましたが、今では蒸気機関車や機関区の面影は皆無になっていますね。
    ただ広い敷地が、唯一の残影のようです。
    石炭輸送が活発だった時代の北海道の鉄道は、活気があって輝いていたのだろうと想像しています。
    地域の人にとっては、特に札幌と近郊では今の方が圧倒的に便利になったと思いますし、都市間輸送のスピードアップも目覚ましいものがあると思いますが、その陰で、旅をしたくなるような情感は失われつつあるように感じます。
    私も自分の目でこちらの時代の鉄道を見て、カメラに収めていきたかったと思うときがあります。
    お写真楽しませて頂きました。
    今後とも、宜しくお願い致します。
    風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

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    ひぐま3号  2015, 02. 17 (Tue) 17:56

    くろくまさん

    12月の午後4時には日が暮れちゃう北海道
    2時頃にしてもう西日の色合いがオレンジに成りかけて来ます
    滝川から追分に異動した603号機と迎え入れた241号機は
    最終12月の主役、ダブル看板のようでした。
    もし火災が無く、241が追分で603が上野に保存されていたら…
    きっと241は動態化されていたと思います。
    実のところC623が復活云々と騒がれる前に苗穂工場のD51237に
    給水しボイラの水圧検査をしたことがあったらしいのです。
    残念ながら237は痛みが酷く諦めたとの話。もし241が居たなら
    同じ苗穂工場製でしたので白羽の矢が立ったかも知れないと思うばかりです。
    ただ、終焉の幕引き役が燃え落ちることである意味、
    伝説はこうして出来るものってことが言えるのかもしれないですね。

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    ひぐま3号  2015, 02. 17 (Tue) 17:57

    風旅記さん

    昨年、この追分をそれこそこの画を撮って以来の訪問で散策してみました。
    その記事はhttp://hi3nao.blog43.fc2.com/blog-entry-2476.htmlです。

    北海道の鉄道における運炭の役割は確かに鉄道そのものに活況を与えておりました。
    昭和50年の蒸気機関車終焉を迎えても数年間はDLによる長い運炭列車を見ることが
    出来たものでした。ただ、重油で走る赤い機関車が黒いダイヤを運ぶアンバランスさは
    その後の国策を象徴していたかのように、採炭の産業が消え去り鉄道の使命も変わりました。
    時を同じくするように、急行や夜行、そして道内の長距離を駆ける普通列車も消え去り
    都市部のフリークエントサービスや都市間輸送の高速化ばかりに使命を求め
    過疎地の足は切り落とされ、ますます旅情は消えました。
    昔、長距離普通列車に揺られBOXシートで如何にぐっすり寝る姿勢が取れるかとか
    バカ停する駅で食料を如何に仕入れるかなんて旅を楽しんだものでした。
    そんな時代を知る身としては、旅における鉄道の役割が復権して欲しいと思うばかりですが
    相も変わらず、今度の改正ではその旅のイメージシンボル的存在の寝台特急がまた消えてしまいますね。

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    とおりすがりです  2015, 02. 21 (Sat) 19:00

    実に懐かしい日の懐かしいシーンです。
    この日、603号機はそれまで241号機の前に連結された状態で留置されていて、そこに乗務員がやってきて罐水を作り、豪快に出区していきました。
    その直後、夕張線返空セキに連結された姿がこの作品なんですよね。
    603号機が滝川機関区から追分機関区に貸し出されてきていたことを私は知らず、機関区に行ったらここにはいないはずの603号機がいて、とても驚きものでした。
    10月に中検Bを施行したばかりですから、最後の最後までしゃぶり尽くすのは当然なんですけどね。

    それはそうと、ひぐまさんはこの日の前後は高校の期末試験は被りませんでしたか?
    私は前後の13日(土)と15日(月)が試験日に当たり学校へ行かなければならず、13日の出発の際には東北本線の脱線事故があって大変な思いをしました。

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    ひぐま3号  2015, 02. 22 (Sun) 01:12

    とおりすがりですさん

    今回、コメントを頂き改めて時系列を確認する機会を得た感じでネガを見てみました。
    てっきりこの603発車シーンを見送り後続の列車で滝ノ上を目指したとばかり思っていたのですが
    実際は機関区に戻り、D5170などを撮ってから駅に行き夕張線のキハ22に乗り込んだようでした。
    滝ノ上で夕張から戻るD5168の単機、夕張に向かう241も単機、そして最後は397の牽く石炭を満載した
    運炭列車を見送り現役最後の撮影が終わりました。
    単機ばかりで消化不良状態だったひぐま、一緒に行動させて頂いた大学生の御一行が
    14日は夕張に泊まり15日も撮るとの話で、一泊2000円で泊まる宿だからもう1日撮ればとの誘いに
    休んでも大丈夫だしと、グラっと来ていたのですが親との約束もあり泣く泣く
    夕張線、室蘭線と乗り継ぎ岩見沢に出て、急行狩勝に乗り込み帯広に帰りました。
    確か、試験は17日頃からだったと思います。
    今にして思えば14日に帰らずプチ家出しちゃえば良かったかなと思うばかりです。

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