2014_04
20
(Sun)09:00

Nostalgic at OIWAKE

札幌出張の帰り道
指定した新千歳空港からの東京便までに少々時間があったので
南千歳駅から特急スーパーとかちに乗車して1駅区間にある思い出の地へ

この地を訪れるのは33年ぶり。列車で駅に降り立つのはあの日以来39年ぶり
嘗ての鉄道拠点としての面影は広い構内から偲ばれる
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あの日この上から眺めたんだ…と機関区を見下ろした丘を見る
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あのカーブの先で225レ最後の旅客列車を見送ったなぁ…
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この辺りからキューロクの入換シーンを眺めたっけ。おっ照明塔はあの時のまま健在か…
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この辺りからD51603の牽く夕張線の貨物列車を見送ったけなぁ…
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火災で焼失した後、DL用の扇形庫が出来ていて夜のシーンを撮ったよなぁ~
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DD511072が出区する。1072号機ってD51でも末期まで活躍していたような…
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そんな感傷に浸りながら何も無くなってしまった更地を彷徨うと
見覚えのあるこんなコンクリ遺構が目に飛び込む
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あの日、D51や9600たちの汽笛や息遣いが聴こえる中で見た
転車台の引込線に唯一存在した車止めのコンクリ
ここに庫があったんだよと教えてくれるために残っていたのか?
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新旧の扇形庫や転車台があった辺りはすっかり宅地と化しておしゃれな戸建てが並ぶ
その奥にひっそりと「安平町鉄道資料館」が佇み、
そのモニュメントは嘗ての主D51241の遺構が鎮座していた。

我が心の聖地追分。時が流れ嘗ての面影は失せても我が心の思い出は失せない。

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Nostalgic at OIWAKE
2014.04撮影Iphone5
1981.01撮影Minolta XE
1975.07撮影MinoltaSRT101

COMMENT 10

まこべえ  2014, 04. 20 (Sun) 16:14

再会

がら~んとした構内。カマはおろか、何両も連なったセキもなく、ホームにも人がいない。
40年という月日は、何もかも消し去って、あの頃の活気はどこにもない。
されど、じい~と写真を眺めていると、画面のなかにあの頃の風景が甦る。汽笛が聞こえ、カマが走り出す。
やっぱりここは、あの追分だ!

そして記事をスクロールしていくと、突然、車止めのコンクリがあらわれた。
あのコンクリか? よくぞまだ残っていたくれたものだ。しかもあの頃のままで。
かつての機関区周辺は宅地化されたようだが、このコンクリは、追分が鉄道の町であったことを物語る証人だ。ぜひともこのままの形で、残してもらいたい。

その追分も、いまは町の名前が安平にかわってしまったとは。
それでも、こういう記事を読むと、いつかまた「追分」を訪れたい気持ちが高まってくる。
きょうは、むかし愛した恋人に再会したような、胸あつき記事、ありがとうございましたm(_ _)m

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ぜっきあいず  2014, 04. 20 (Sun) 21:32

機関区を見下ろした丘

いやぁ、泣けました。
あの日あの時の丘の「今」を撮って、UPしていただけるなんて・・・
ひぐま3号さん、本当にありがとうございました。

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あべくま  2014, 04. 20 (Sun) 22:00

がーん!

これがあの追分ですか? ショックですぅ!
しかし歳月の流れって、時に残酷な気がしますね。
とは言え、現実もしっかりと認識しなくてはいけませんね。
貴重なルポ、ありがとうございました。

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くろくま  2014, 04. 21 (Mon) 07:17

いやぁ

引き込み線も機関区もなくなった追分駅。
最期の6788レを写したのがここだったなんて……
渇いた土の色と晴れた空が現実を教えてくれるよう。

車止め、よく記録してましたね。
同じ位置、同じ角度で鎮座しているとしたら、
このコンクリートは追分の盛衰をしっかり留めているのかも。
ジ〜ンと来ちゃう画、ありがとうございました。

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ひぐま3号  2014, 04. 21 (Mon) 20:52

まこべえさん

コメントありがとうございます。

嘗ての恋人の変わりようには言葉もないことでしょう。
そんな心境なのに振り絞るようなコメントを頂いたことは本記事をレポートした身には
ありがたさでいっぱいです。

しかし、よくもまあ、このコンクリだけは残っていたもので、これが無きゃどこに庫が在ったかも
判らないところでしたが、この存在で位置関係が理解出来ました。
まだJRの敷地内で鎮座していますから、当面は残るのでしょうかねぇ~生き証人だけにいつまでも
存在していて欲しいものです。

そうなんです、追分と安平では駅を知る身には月とスッポンなのに、何故か合併で安平と名乗ることに
早来町との合併で安平と名乗るので某国会議員さんの影響は無いようで、追分の分村前の名前安平と
なったようです。

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ひぐま3号  2014, 04. 21 (Mon) 20:57

ぜっきあいずさん

コメントありがとうございます。
行こう行こうと思いながら行けず終いだった追分
時刻表で調べたら千歳空港からそう時間もかからず、上下の特急発着時間差1時間少々滞在できるとの判断で
今回実現したものです。行ってみて感慨ひとしおでしたが今行けたことであの時の思い出が一層色濃くなった気分です。

あの記事の今が出来、それを見て一緒に感慨に耽って頂ける皆さんがいらっしゃることに感謝です!

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ひぐま3号  2014, 04. 21 (Mon) 21:03

あべくまさん

時の流れは残酷なまでに過去を消し去り新たなるものを見せつけるのですが
ここ追分はどちらかと言うと生殺しの眺めでした。
軌道維持管理施設の引込線が大外に一本あるためでしょうか広大な鉄道敷地は
分譲地となって民家が立ち並んでも余りある更地状態。

あの日の目線はどの立ち位置だったのか検証できたことにあの日が一層大事な日になった気がしていますよ

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ひぐま3号  2014, 04. 21 (Mon) 21:24

くろくまさん

感慨深いでしょ。あの夜、くろくまさんが佇んだ待合室は駅舎が変わったのか
内装が変えられたのかちょっとしたスペースしか存在せず、その壁には数点の241走行モノクロ画が
掲げられておりましたよ。キオスクもありませんでした…

この塊を見た瞬間、「あっ!あれだ!」とピーンと来たひぐまでした。
今回あらためてくろくまさんの撮られた追分の様子を見させていただきましたが
このコンクリ、ちょこんと映り込んでいる画もありますね
なんだか、嬉しくなっちゃいましたよ~

で、出張時の間合い行脚。これもまた疑出だなんて言わないでね(笑)

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popoman  2014, 04. 25 (Fri) 05:54

これが今の追分なのですね。ストラクチャーが全て消えていった追分に愕然としました。
追分、岩見沢を再訪してみたいと思っていたところこのリポートを拝見し行って良いものか、見ない方が良いのか複雑な心境です。

車止めのコンクリートには泣けてしまいます。よくぞ写真を撮られておられましたね。鉄道資料館があるのなら行ってみたい気持ちになりました。
D51241のモニュメント、やっぱり悲しい気持ちかもしれません。

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ひぐま3号  2014, 04. 26 (Sat) 23:32

popomanさん

機関区もセキ車が沢山いた広いヤードも消え去ったことは知っていたとは言え
現実を見ると遣る瀬無さでいっぱいに包まれました。
この1、2年でかつて現役蒸機を観て歩いた池田、帯広、岩見沢、そして小樽築港の機関区、運転区を
見て歩く機会に恵まれ、ついに追分にも行く機会を得た次第です。
今でもまだ、少し往時のイメージが残るのは岩見沢位で後は全て一切の面影無しでした。
そんな中で追分で見つけた車止めのコンクリには、心打たれました。よくもまあ残っていたものです。
鉄道資料館にはD51241に代わって保存された320号機がおりまして、今にも走り出しすのではと言う程に
整備されております。かつての追分機関区OBの手による管理整備、その完璧さに241が燃えてしまったことが
惜しまれてならない気持ちにさせられます。
ぜひ、行って見て下さい。あの頃が心の中で広がりますよ。

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