広尾線・第3回
本日のテーマは「愛国駅」
昭和4年11月2日開駅
帯広起点で11kmに位置し
依田、北愛国についで3番目の駅であった。


駅名の起源は
元ここに愛国青年団という団体があり
後にこれが愛国という部落名となったので
駅名はこれをとったためとされる。
開業時から有人駅であったが
昭和49年12月15日をもって無人化された
しかし、当時は「愛国~幸福」の切符が
大ヒットの真っ最中であり
簡易委託駅となって乗車券の販売を継続
入場券の販売は中止されたが
観光ブームに便乗して再発売されるようになった。
廃止後は「愛国交通記念館」として
駅舎ならびにホームを保存し
帯広市内(緑ヶ丘公園)から19671を移設し展示している。



上の入場券は観光記念絵柄入り硬券入場券
中の入場券は記念きつぷタイプの入場券
下の入場券は乗車券メモリーセットに唯一同梱された入場券である。
日付が印刷されたタイプであり
全体に右寄りに印刷されていて○ムとは印字されていない。
漆喰の趣のある駅舎は昭和50年代の半ばに
改築され、現在の記念館に使用されている駅舎に変わった。
当時、自宅のあった帯広市内から
自転車で良く愛国駅には出かけたものであり
午後2時半頃に帯広へ向け発車する1892貨を撮影した。
駅の帯広寄りに牧場があり
如何にも北海道らしい牛舎があってSLと絡めて撮影した

時は流れ…
廃止が決まった昭和61年の夏
帰省した折、記念のリバイバルトレインが走っていた
昭和40年代、広尾線は混合列車が走る路線であり
当時は帯広区の8620型SLがミキストを牽引していたのである。
それを彷彿させる狙いか、DE10に旧客と貨車をぶらさげ
中札内までの往復運転であった。
列車名は「リバイバル愛国幸福号」であった。
ほぼ、SLと同じ位置にてリバイバル撮影してみた。
12年ぶりの撮影であったのがこの写真である

その後、平成元年に廃止後初めて愛国に行ってみたが
そこだけ時が止まっているような感じであった
それから18年、今はどうなっているだろう…