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2006_10
19
(Thu)23:47

1枚のサボから…「広尾線」

1枚のサボから…(今回は2枚だった~)
広尾線・第3回

本日のテーマは「愛国駅」
昭和4年11月2日開駅
帯広起点で11kmに位置し
依田、北愛国についで3番目の駅であった。
aikoku1.jpg

aikoku2.jpg

駅名の起源は
元ここに愛国青年団という団体があり
後にこれが愛国という部落名となったので
駅名はこれをとったためとされる。
開業時から有人駅であったが
昭和49年12月15日をもって無人化された
しかし、当時は「愛国~幸福」の切符が
大ヒットの真っ最中であり
簡易委託駅となって乗車券の販売を継続
入場券の販売は中止されたが
観光ブームに便乗して再発売されるようになった。
廃止後は「愛国交通記念館」として
駅舎ならびにホームを保存し
帯広市内(緑ヶ丘公園)から19671を移設し展示している。
hiroo10.jpg

hiroo8.jpg

aikoku7.jpg

上の入場券は観光記念絵柄入り硬券入場券
中の入場券は記念きつぷタイプの入場券
下の入場券は乗車券メモリーセットに唯一同梱された入場券である。
日付が印刷されたタイプであり
全体に右寄りに印刷されていて○ムとは印字されていない。

漆喰の趣のある駅舎は昭和50年代の半ばに
改築され、現在の記念館に使用されている駅舎に変わった。

当時、自宅のあった帯広市内から
自転車で良く愛国駅には出かけたものであり
午後2時半頃に帯広へ向け発車する1892貨を撮影した。
駅の帯広寄りに牧場があり
如何にも北海道らしい牛舎があってSLと絡めて撮影した
20061019231953.jpg

時は流れ…
廃止が決まった昭和61年の夏
帰省した折、記念のリバイバルトレインが走っていた
昭和40年代、広尾線は混合列車が走る路線であり
当時は帯広区の8620型SLがミキストを牽引していたのである。
それを彷彿させる狙いか、DE10に旧客と貨車をぶらさげ
中札内までの往復運転であった。
列車名は「リバイバル愛国幸福号」であった。
ほぼ、SLと同じ位置にてリバイバル撮影してみた。
12年ぶりの撮影であったのがこの写真である
20061019232807.jpg

その後、平成元年に廃止後初めて愛国に行ってみたが
そこだけ時が止まっているような感じであった
それから18年、今はどうなっているだろう…

COMMENT 12

N市のT  2006, 10. 20 (Fri) 11:33

懐かしい駅舎です。ここで2泊駅寝したのを思い出します。
1978年当時、駅長が日勤で向かいの商店のおばさん等が切符の発売を手伝いに来ていました。駅長が休みの時は大正駅の助役が助勤に来ていました。

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vanagon714  2006, 10. 22 (Sun) 23:23

SLの写真をじっと見ているとなぜかジーンときます。
写真ってその瞬間を切り取って保存できて素晴らしいなあ
と改めて思いました。
蒸気機関車が近づいて目の前を通過して遠ざかる・・・
遠ざかるのを見送るときの切なさのようなものを思い出しました。

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ひぐま3号  2006, 10. 22 (Sun) 23:57

この駅舎で2泊…
小さな集落の愛国駅だけに夜は真っ暗だったはず
さぞ、不気味な夜をすごされたのでは?
WCと洗面所があり、朝一番の列車が目覚まし時計
これでお風呂が近くにあったら最高の宿泊施設ですよね
学生時代にこのような「寝袋」持参の旅をしておけば良かったと後悔しきりです。
素敵な思い出をつくられたN市のTさんが羨ましいです!

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ひぐま3号  2006, 10. 23 (Mon) 00:04

vanagon714さん
あの頃もっと撮影に行っていれば…と、日々思うばかりです。
こうして皆さんとブログを通じて交流を持つと、
みなさんと同じ年代を過ごした中での、それぞれの経験や
その当時の趣向がわかり楽しいものですね。
今の復活したSLでは味わえない何かがあの頃にはあった
ような気がします。
きっと、その何かは生活感かも知れませんね。
日常がそこにあったわけですから。
今の復活では日常と言うより非日常のイメージが大きいように思えますから。

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vanagon714  2006, 10. 23 (Mon) 21:34

>きっと、その何かは生活感かも知れませんね。
たしかにそうかもしれません。まさに日常でした。
私はSLの写真が少なくてみなさんの写真を拝見する度に
「もっと撮っておけば・・・」とつい思ってしまいます。
でも思い起こせば小学校時代の千歳線旧線の情景や
苗穂工場を見学したときに間近で見たSLの迫力が記憶に
焼きついています。
そういうシーンが見られただけでも幸せなのかなあと
気づきました(^^)

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gamera63  2006, 10. 23 (Mon) 22:17

>そういうシーンが見られただけでも幸せなのかなあと
気づきました(^^)

そうですよ!見たくても、身近に走ってないと「日常のもの」として見られなかったわけですから。

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N市のT  2006, 10. 24 (Tue) 18:33

>さぞ、不気味な夜をすごされたのでは?
寝袋に入ったら爆睡です。寝袋というのは不思議と良く寝れるものです。
学生時代はおろか、社会人になっても貧乏旅行なので「寝袋駅寝」はしばらく続きました。
>今の復活したSLでは味わえない何かがあの頃にはあったような気がします。
全く同感です。復活SLでは何かのイベントのようで、現役時代の自然さが感じられません。とは言え、現物が味わえるのはありがたい事です。

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ひぐま3号  2006, 10. 24 (Tue) 23:35

vanagon714さん
そですよ!現役蒸気を見られた世代は現在40代の年齢層の方。この年齢層でもほんの1~2年の差で撮影したとか、牽引の列車に乗ったとか、差が生じますよね。
今では味わえない、鉄道の原点のようなSL現役時代を見て記憶できただけ、我ら40代の道産子は恵まれていたことになりますね~

gamera63さん
ね!gamera63さん。
見られなかったエリアの方としては羨ましい話ですよね!
長野でも74年の夏位までは木曽福島に行くとC56が駅の構内で入換えなんてしていたのですが…そんな情報当時入手出来なきゃ、近くてもわからないですよね。

N市のTさん
確かに寝袋使用で野宿やキャンプすると、不思議と爆睡しますよね~私も経験ありですから良くわかります。
社会人になってからは車を利用するようになり、鉄道で移動することが極端に減りました。北海道を離れてからC62を撮影に北斗星なんかで行った際は、切符の予約をした段階から旅が始まっているようで、ワクワク感をいっぱい味わえました~
復活蒸機でもあの息遣いは同じなのでその点はありがたいものがありますね。だだ、C62の息遣いを体感した身ではそれ以外の蒸機では物足りないって贅沢な悩みもあります(^^ゞ

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N市のT  2006, 10. 25 (Wed) 11:07

>切符の予約をした段階から旅が始まっているようで、ワクワク感をいっぱい味わえました~
そうです。時刻表を眺めながら計画を練っている段階から旅は始まっています。
>C62の息遣いを体感した身ではそれ以外の蒸機では物足りないって贅沢な悩みもあります
現役時の132レに小樽から銀山まで乗車しましたが、小樽~塩谷と然別~銀山は凄い息ずかいでした。それを聞いたら他ではやはり物足りないですねぇ。

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gamera63  2006, 10. 26 (Thu) 16:57

>長野でも74年の夏位までは木曽福島に行くとC56が駅の構内で入換えなんてしていたのですが…そんな情報当時入手出来なきゃ、近くてもわからないですよね。

この頃は、まだ大阪です。v(^^) 私の長野移住は'89です。

>寝袋に入ったら爆睡です。寝袋というのは不思議と良く寝れるものです。

私が寝袋を使用したのは、ヨーロッパ放浪した時の夜行列車内(コンパートメントの椅子を全部引っ張り出すと、平らなベッドに早変わり!)で寝た時と、スイスのツェルマットの雑魚寝式の山小屋で寝た時でした。こういう状況なら寝られます。山小屋で、両脇にいびきのごついのが居た時はさすがにつらかったですが。外人のいびきって往復ですごい。寝言も「ハニ~」とか言ってました。大笑い。
 一度公園で寝袋で寝るのを試しましたが、海外の屋外では、怖くてできませんでした。いろんな人が喋りかけて来るんです。愚連隊ぽいのとか、変なタバコをふかしてるのとか。当時

①アジア人の
②若い男の子で
③ちょっと小太りな

のは、いい値段で売買されるとかいう本当のような噂のような話があって、①から③まですべてにあてはまっていた私はやっぱり日本に帰りたいから、その公園で寝るのを止めて、夜行列車に飛び乗りました。(^^;;;

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ひぐま3号  2006, 10. 26 (Thu) 23:40

N市のTさん
そうですね!時刻表で接続探してプランニングして…
確かにその段階で既にモード全開でした!
93年に郡山から山口、阿蘇、大井川を転戦した際、1度7月にムーライト九州で計画を立て、指定席(1BOX分)を確保しながら、急遽中止に…リベンジで11月にブルトレ利用で行きました。その際はプランニングで2度ワクワクを味わいました~

gamera63さん
懸命な判断が今こうして交流を持てることになりましたね。
判断間違っていたら…寝袋が棺おけになっていたかも?
お~怖っ!でも、その危機一髪がまた今じゃいい思い出なんだから「可愛い子供には旅をさせよ」ですね!

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gamera63  2006, 10. 27 (Fri) 08:43

>判断間違っていたら…寝袋が棺おけになっていたかも?
そうですよね~。①~③の条件は、当時のヨーロッパ「紳士」の間で人気だった条件らしいです。怖い~(^^;;

>その危機一髪がまた今じゃいい思い出なんだから「可愛い子供には旅をさせよ」ですね!

生きて帰れたから言えることで、そうでなかったら今頃親に悲しい思いをさせてましたね。ヨーロッパは国によっては麻薬などが合法であったりしたこともあって、往来でおおっぴらに「やらないか?」とか言われることもありましたが、絶対にやりませんでした。常に頭にあったのは「生きて日本に帰る」でしたから。それが行かせてくれた親に対する一番の親孝行になると勝手に思い込んでいて、アルコールも殆ど飲まなかったです。いつどこで襲われるかもわからないので、最悪でも「走って逃げる」ことくらいはいつでもできる状態でないといけないと思ってました。宿で寝る前には飲みましたけどね。ひとり旅は結構タフです。

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