
C58139 根室本線 釧路〜東釧路 1971.12 釧路川橋梁
月日の流れはアッと言う間に流れもう7月も第3週の水曜日。
第3水は定例の師匠が撮影した現役蒸機の日と言う事で釧路川橋梁を渡るC58の画です。
何の変哲もない橋梁を渡る画を敢えて選んだのは「ランボードのホワイトレター(白帯)」が気になっての選択
この頃(1971年当時)釧路や北見の罐で白帯を入れたC58は何号機なのか?
実のところトップナンバーの1号機も元お召牽引機の106号機も白帯は入れられておらず
唯一33号機だけがG2デフを移植後に施しただけでした。
となるとこの牽引機は何号機か?検索に次ぐ検索をネット上でかけてもそれらしき罐の画像にはヒットせず。
ナンバープレートが識別できずスノープロウと前方ステップの取り付け形状などの特徴がある
戦前型C58と言う条件から絞り込むも特定には至らずお手上げ状態。
そうだ、ネガの原版から識別して貰おうとデータを用意してくれたキツネメ君に問い合わせると
139号機であることが判明したのだが…(さらなる謎が)
今度は139号機に絞って往時の画を探すも白帯を纏う画には全くヒットせずの結果に。
この139号機1960年に米子から転属して来た罐であるが時既に10年以上ではその当時の名残でも無さそう
デフに黒い丸の跡が見えるのが往時の名残、そう後藤工場標準の円形プレートがつけられていた証
これ33号機に盛られたG2デフにも385号機が米子時代に冠せられておりパレオが模した際にも再現されましたっけ。
<参考画像>秩父鉄道C58363装備時のもの。2013.10.18撮影

ちょっと余談に流れましたがホワイトレターの意味は結局分からず恐らくこの当時一時的に施されたのではないかと。
ここから先はあくまでも勝手な想像ですが…
往時、C581が梅小路に収容される事となり特別保全の保存向け整備がなされることに。
この整備上の一つとしてホワイトレター化を139号機を用いて試験的に実施したのでは?
そして梅小路入りする1号機、その後を継ぎ鉄道100周年記念のスター機として33号機に施し試験実施の139号機は黒に戻されたのではと。
33号機に施したJNRの切り文字も1号機のデフにデザインを変えて施しておりこの辺の事情を想像するのも面白いものである。
この139号機、データベースで履歴を調べると戦時中にメーターゲージに改軌され泰緬鉄道に送られる寸前で制海権を失い
輸送のリスク回避で南方送りを断念し狭軌ゲージに復元され最終最後のC58となる長寿を全うする運の強さ
個人的にもこの139号機には縁が有り池北線の本別から池田まで乗せて貰った事、
自分にとって最後のC58撮影となった1527レの牽引機もこの139号機でした。
今は旧湧網線計呂地駅跡に保存されており状態も良いと聞く。いつの日にか訪れて往時を懐かしみたいものです。