
昭和の末期から平成にかけて5年間函館に在住した。
この頃は国鉄民営化が決まりJR北海道へ移行した時期である。
鉄道による北海道の玄関口「函館」も
大きな様変わりを迎えようとしていた時期である。
それは、北海道と内地を繋ぐ「青函連絡船」から
津軽海峡を1本のトンネルで鉄路が繋がること。
既に、北海道の玄関口は空路「千歳空港」にその座を渡し
時をお金に変える人は空路で、一方時を楽しむ人が航路で
この元玄関口「函館」に訪れたものであった。
ハリストス正教と青函連絡船「十和田丸」函館と言う街はご存知のように
道内屈指の歴史と観光を兼ね備えた街であり
函館山からの景色は昼夜を問わず
訪れる人を魅了する道内観光のメッカである。
さて、この函館を鉄道の観点からこの記事では
考察してみることにしましょう。
上野からの夜行優等列車が青森に到着し
津軽海峡を青函連絡船で函館に。
函館からは札幌や道内の主要都市にむけ
特急や急行が接続する。
桟橋からホームまで大きな駅が函館駅であった。
函館駅の横には函館運転所があり
キハ80系やキハ56系などの箱物が配置されていた。
函館を出て次の駅、五稜郭には動力車の基地
五稜郭機関区があり、DD51などの機関車が多数
配属されコンテナ列車を道内各地の貨物駅へ遠路駆ける
運用に就いていた。
また、市内には函館市営交通の路面電車が運行されており
まさしく、函館は船舶、優等列車、ローカル列車、そして
客貨に活躍するDL,更に青函トンネル開業後はEL,ECと
路面電車、前出の上磯ELなど百花繚乱の鉄車輛が見られる
街であった。
元町の坂から港を見下ろすと市電が…今ではSL、C11による函館・大沼号の季節運行と
当時の車輛から形式は変わりつつあるが鉄車輛の
百花繚乱ぶりは変わらない。
連絡船が消え、ローカル線の松前、瀬棚線は消え
市電の路線も縮小されてはいるが
まだまだ鉄を堪能できる街である。
数年前に帰省で訪れた際、SL函館・大沼号の運行シーズンであった
小沼湖畔を行くC11171客車列車を牽引し函館ー大沼公園ー森ー大沼ー函館と
森までの往路は駒ヶ岳経由、復路は砂原経由の周遊列車
この周遊列車のルーツは駒ヶ岳遊遊トレイン
国鉄末期の企画列車として誕生した列車である
DE101570牽引の遊遊トレイン(砂原線・砂原で撮影)この当時はスハフ44系客車に黄色のラインを入れていたが
数年後には客車の色をベージュに替え水玉模様を配置した
いかにも情けない編成となっていました。
大沼公園駅でキハ183に進路を譲るDE151543牽引遊遊トレインこの先あの頃の鉄活動を数回に分け振り返ってみたいと思います。
[函館望郷編2]に続く。