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1枚のサボから…[函館望郷編5]
- 2006/02/27(Mon) -
函館望郷編[最終章]

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去って行ったもの
函館時代の5年間の中で去って逝ったものたち
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路線…
青函航路、松前線、瀬棚線
列車…
特急「北海」函館発の「おおぞら」
急行「ニセコ」「すずらん」
車輛…
スハフ44などの旧型客車、キハ80系の定期運用

国鉄からJRへの過渡期にその地で終焉を迎える
去り行くものを見て、乗って、カメラに収めることが出来
我が鉄人生においては大変有意義な5年間であった。
もっとも、最後の2年間は
C62二セコ詣にその比重は置かれていたが。
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C62二セコの撮影データを見てみた。
函館時代の運行初年度、函館から出陣が30日
2年目の運行では23日であった。
運転日数は初年度が97日、次年度は76日である
これは試運転も臨時も入れての総数
どちらの年もしっかり30%に及ぶC62二セコ詣
函館ー倶知安間約160kmの国道5号線
よくもまあ、こんなに走り通ったことやら…
もっとも、連日の撮影が可能な出陣では
倶知安の「駅前ホテル」が定宿であった訳であるが、
それにしても呆れる話である。
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かくして函館在住5年間の何倍も過ぎた今
あの函館を振り返ると頭に浮かぶのは…
過ぎて行った日々。
初めて函館に赴任した日は大雪の中
翌日の市電は完全運休
元町から柏木町までは車で通勤の身
大森浜の道路は夏場、イカ釣り漁船の照らすライトが
一列に並び、まるで、もう一本道路があるような
錯覚に陥ったもの。
元町のアパート脇から見える函館港
朝な夕なに鳴り響いた連絡船に汽笛
私にとって第2のふるさとと言える街でした。
あ〜懐かしい!
そんな訳からか、最近の趣味サボ収集は
函館物が多く占めるようになっています(^^ゞ
函館望郷編[2003ひぐま親子ふるさとに帰る]に続く
あれ?最終章?まあ、気にしない!気にしない!
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1枚のサボから…[函館望郷編4]
- 2006/02/14(Tue) -
函館レールフアンクラブ
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函館時代C62二セコ号の復活に合わせ
冬眠から目覚めたヒグマの
第3章とも言うべき「鉄」人生
大人になったせいかどんどん社交性をもつようになり
地元の「函館レールフアンクラブ」にも所属するようになった。
このクラブ、趣味誌の「鉄F」で活躍されているO氏
「RM」で白ダマ云々で名高い江差の御大T氏など
高校生から現役JR職員を含め定年退職されたシニアまで
総勢20名からの地元鉄道愛好家の集団であった。

例会の他に見学会や撮影会も催す活動的な集団
私の属していた期間でも
「海底駅見学会」
「青函運転区見学会」
「五稜郭工場見学会」
そして「日本セメント上磯工場専用線」さよなら撮影会など
多彩な企画が実施された。

「海底駅見学会」
トンネル開業後、通過する列車には何度か乗車したが
この企画に参加していなければ
きっと海底駅なんざ行かずじまいだったはず。
今思うとありがたい企画でした
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極めて細いホーム。海峡号が乗降対象列車
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この区間専用に改造されたED79が進入して来たがこの先まで行けず…
確か春休み期間中の企画で「青春18切符」を上手に使い
お得な価格での企画でした。流石幹事!

「青函運転区見学会」&「五稜郭工場見学会」
この企画は89年11月。
購入したばかりのマミヤM645スーパーの試し撮りにと
勇んで参加したのを覚えている。
露出を半段ごとに何コマか定点撮影したりしていて
今、スリーブのポジを見ると
あの頃は随分熱心だったんだな〜と感心より呆れる(^^ゞ

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ED76500番台から唯一青函向け改造された551号機

青函運転区では歓迎の証か
「北斗星」「エルム」「日本海」「カートレ…」のHMを
次々に掲かげて記念撮影!
カマ屋(蒸機専門撮影)傾向の強い私
多少飽き気味であったが折角の機会と
レリーズしておりました。

次はその足で訪れた五稜郭車輛所(旧五稜郭工場)
なかなか工場公開の日でもなければ立ち入れない所
これも、地元愛好団体のなせる業か?
流石に公開日じゃないから部品などの即売は無し
当たり前か…
大宮、多度津、苗穂などの工場には
展示施設やコーナーがあったけど
ここにはありませんでした。
専ら、入場中の車輛を見学。
数日前に仁山信号所付近で踏み切り事故に遭い
走行不能になって
前代未聞の藤城線を閉塞上下列車運行にした
キハ22の事故車も入場していました。
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JR北海道カラーに塗り替え中のキハ183

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これは海峡号用のPC、オハ505000番台への改造中車輛
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キハ22の全塗装作業。中間検査で入場か。
2年間の在籍ではあったが
楽しく交流がもてる場であり
地元の鉄道を再認識できる機会に恵まれたクラブであった。
この記事で登場した車輛も今はほとんど絶滅(183は危惧車輛!)
時の流れを感じます。
一気にクラブ時代を記載したため長くなりましたね。
最後まで閲覧して頂きありがとうございます。
以後、1枚のサボから…[函館望郷編]最終章に続く
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1枚のサボから…[函館望郷編3]
- 2006/02/08(Wed) -
「急行ニセコ消滅の日」
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昭和61年も10月に入りいよいよ
急行「ニセコ」廃止のカウントダウン
既に郵便車の運用は廃止となり
14系客車4両の編成に…
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熱郛で43レと交換し函館を目指す「ニセコ」
予想通り郵便・荷物が廃止で長万部までの重連運用も廃止。
ちょっと見は団臨運用?って感じの列車になってしまい
一抹の寂しさを感じること。

いよいよ10月31日が来た
最終運行の日である。何か特別にHMでも付くのか?
などと、考えを巡らせながら
快晴の小沼湖畔に向かう。
大沼駅手前の丘から駒ヶ岳をバックに撮影するか
それとも湖畔に下りてインから撮影するか…
現着してあちらこちらと散策
結局、手前に湖水を配置した構図にして撮影

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最終運行の急行「ニセコ」牽引DD511061

誰も見送る「鉄」はいないのか?と思いきや
C62重連のニセコを追い求めたとおっしゃる方が一人。
並んで撮影し、一緒に別れを告げました。
(後日、復活C62二セコの撮影で再会しビックリでした!)

さて、戻りのニセコがラストのラスト!
どこで撮影しようか?悩むばかり。
以前、七飯から分岐する藤城線の高架をサイドから撮影した地点

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9月に撮影したこのポイントにすべきか?

函館を後にするイメージが欲しい
ならば、函館山を入れて俯瞰するか!
そう考え横津へ行く道を登る
畑の中から藤城線の高架が見え
その後ろには函館山と津軽海峡が…
光回りが辛いけどここに決定!
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函館山をバックに最終二セコを俯瞰撮影
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最後の最後は目前を通過して消えて行った「ニセコ」

撮影するポイントの脇には藤城線の線路
最後の最後は目の前を通過して行く急行「ニセコ」
かくして伝説の客車急行「ニセコ」は消えて行きました。

[函館望郷編4]函館レイルフアンクラブに続く…
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1枚のサボから…[函館望郷編2]
- 2006/02/07(Tue) -
「鉄」人生第3章冬眠からの目覚め

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函館時代に「鉄」人生の第3章が始まったのには訳がある。
第1章は「現役蒸機時代」第2章は「復活C56運行時代」と来て
また、鉄活動に対してひぐまは冬眠に入っていた。
函館在住2年目の春
道新の記事で長い冬眠から揺り起こされた
その記事は…
「C62復活へ!」
なんと、手宮で静態保存されているC623が眠りから覚め
函館本線を走らせる計画があると言う記事。
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この日は築港への回走準備で検査をしていた。61年10月撮影 手宮

既にカメラなどは実家に預け
なんら機材すら存在しない状態…
このブランクを埋めなきゃ!
頭を過ぎるのはC623の本線走行〜まだ決まった訳でもないのに!
この動機でカメラを購入し函館エリアで
ブランクを埋めるために第3章がスタートしたのであった。

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急行「ニセコ」消滅へ!
またしても新聞記事で見たのはそんなショッキングな記事であった。
函館本線の長万部ー札幌間の優等列車全廃…
「北海」も「ニセコ」も61年10月末で廃止
とりわけ「ニセコ」はあのC62重連の客レ急行である。
既にPCは14系、牽引機はDD51とSL時代からは
当然見劣りするがそれでも無くなるとあれば…
かくして函本でのDD51狙いがブランクを
埋める被写体となったのであった。
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桔梗ー五稜郭間 急行二セコ 

この61年11月改正は優等列車だけの廃止ではなかった
荷物列車を兼ねた旧客列車、51系客レなど
函館発着のPC列車全てが廃止となったのであった。

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砂原線経由の125レ 砂原駅

客レ廃止に伴い郵便の輸送も廃止になるが
列車の廃止を待たず10月中から随時廃止とか…
ならば、DD51重連もその時点で廃止?
1度は撮影しておこうと倶知安まで遠征

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倶知安ー比羅夫間 DD51重連の急行ニセコ

この日は雨の一日であったが旧客レの43レ、51系の121レと客車列車を
堪能しました。
ついでに廃止寸前の胆振線まで足を伸ばし
道内廃止ローカル線で唯一の撮影となった
さよなら記念列車も収めて紅葉のニセコ路を
函館に向け帰路についたのであった。
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晴れたら羊蹄山がバックに…43レ
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レッドトレイン121レ DD511043牽引
[函館望郷編3]「急行ニセコ消滅の日」に続く…
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1枚のサボから…[函館望郷編1]
- 2006/02/05(Sun) -
sabo


昭和の末期から平成にかけて5年間函館に在住した。
この頃は国鉄民営化が決まりJR北海道へ移行した時期である。
鉄道による北海道の玄関口「函館」も
大きな様変わりを迎えようとしていた時期である。
それは、北海道と内地を繋ぐ「青函連絡船」から
津軽海峡を1本のトンネルで鉄路が繋がること。
既に、北海道の玄関口は空路「千歳空港」にその座を渡し
時をお金に変える人は空路で、一方時を楽しむ人が航路で
この元玄関口「函館」に訪れたものであった。

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ハリストス正教と青函連絡船「十和田丸」

函館と言う街はご存知のように
道内屈指の歴史と観光を兼ね備えた街であり
函館山からの景色は昼夜を問わず
訪れる人を魅了する道内観光のメッカである。

さて、この函館を鉄道の観点からこの記事では
考察してみることにしましょう。

上野からの夜行優等列車が青森に到着し
津軽海峡を青函連絡船で函館に。
函館からは札幌や道内の主要都市にむけ
特急や急行が接続する。
桟橋からホームまで大きな駅が函館駅であった。

函館駅の横には函館運転所があり
キハ80系やキハ56系などの箱物が配置されていた。
函館を出て次の駅、五稜郭には動力車の基地
五稜郭機関区があり、DD51などの機関車が多数
配属されコンテナ列車を道内各地の貨物駅へ遠路駆ける
運用に就いていた。

また、市内には函館市営交通の路面電車が運行されており
まさしく、函館は船舶、優等列車、ローカル列車、そして
客貨に活躍するDL,更に青函トンネル開業後はEL,ECと
路面電車、前出の上磯ELなど百花繚乱の鉄車輛が見られる
街であった。
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元町の坂から港を見下ろすと市電が…

今ではSL、C11による函館・大沼号の季節運行と
当時の車輛から形式は変わりつつあるが鉄車輛の
百花繚乱ぶりは変わらない。
連絡船が消え、ローカル線の松前、瀬棚線は消え
市電の路線も縮小されてはいるが
まだまだ鉄を堪能できる街である。
数年前に帰省で訪れた際、SL函館・大沼号の運行シーズンであった
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小沼湖畔を行くC11171

客車列車を牽引し函館ー大沼公園ー森ー大沼ー函館と
森までの往路は駒ヶ岳経由、復路は砂原経由の周遊列車
この周遊列車のルーツは駒ヶ岳遊遊トレイン
国鉄末期の企画列車として誕生した列車である

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DE101570牽引の遊遊トレイン(砂原線・砂原で撮影)

この当時はスハフ44系客車に黄色のラインを入れていたが
数年後には客車の色をベージュに替え水玉模様を配置した
いかにも情けない編成となっていました。

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大沼公園駅でキハ183に進路を譲るDE151543牽引遊遊トレイン
この先あの頃の鉄活動を数回に分け振り返ってみたいと思います。
[函館望郷編2]に続く。
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