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2023_09
20
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】

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79618+D51(倶) 函館本線 小沢 1971.05〜07頃(推定)

C62重連による103レ急行ニセコと入れ替わりに小沢を発車する貨1146レ
倶知安機関区配属のD51が本務機として運用されているスジであるが小沢から一駅先の倶知安までは
岩内線運用の貨物を牽き小沢到着後構内で待機していたキューロクを前位につけ回送重連として運用されていた。

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倶知安機関区に配属された7万台のキューロク4両は二つ目に加え給水温め器装着の重装備キューロクで人気の罐であった
倶知安機関区の無煙化が1973.10で実施され79613が廃車、79616が旭川区へ79615と79618は小樽築港区へ転属
その後74年に入って79615は小樽築港区で廃車となり倶知安町での保存。
79616は旭川区で1灯化に戻され旭川区無煙化後は追分区へ異動後75年12月まで追分駅入換に従事して廃車
給水温め器を搭載のまま日高町での保存となるも手入れもされず荒廃していると聞く。
74年年明け後の小樽築港区完全無煙化に伴い79618は鷲別区へ転属、この時点で稼働する二つ目重装備はこの79618だけとなる
29633廃車以降罐不足となっていた池田区の補充として74年7月に鷲別からの異動で更に生き延びたのだが…

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79618 池田機関区 1974.10.20
池田ではまさかのフル装備解除となり75年3月末の無煙化で廃車となる。
廃車後新得機関区で疎開留置され未確認情報ではあるが釧路工場へは回送されず新得で解体されたと聞く
新得町にある元狩勝越え機関士大崎氏が運営する大崎ミュージアムにナンバープレートが保存展示されている。

2023_08
16
(Wed)06:00

C58412+3B 釧網線 北浜〜浜小清水 1972.02(推定)

残暑お見舞い申し上げます
3ヶ月予報によると今年の暑さは10月におても平年以上に暑くなると。
どうぞ皆様に於かれましてはまだまだ暑い日が続くご覚悟とご自愛のほどを。

さて1ヶ月が経つのはホント早く第3水曜日の更新と言う事で師匠画の登用です。
今回のチョイスは北浜の橋梁を海側から撮ったものであり前景には着岸した流氷、そしてデフとテンダーに檄文字の団結号
チョイスの意図は涼感&暑さに負けずにガンバローの檄ってことで選んでみた次第です。
前回の釧路川橋梁の号機特定は難儀しましたが今回はある特異仕様が決め手で412号機と判明。
そのとある特異仕様とは副灯の位置、普通は前照灯に向かって左側に装着であるが何故かこいつだけは右側に付く
この檄文字、よく見ると釧網線らしさが伺える。釧路機関区の罐にデフには「斗う北見の同志」
テンダーには「斗う動力車労組斜里支部‼︎」との記載。
おそらく網走駐泊の際にでも記載されたのでしょう。
何?他の文字も読みたいと。
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これなら読めるかな?
労使正常化攻○粉砕!この○の字が読めない…撃?違う違うそうじゃない♩
う〜ん、涼しくなればとの思いでこの画を選ぶも何と記すと考え出したらヒートアップしちゃいそうです(笑)
2023_07
19
(Wed)06:00

C58139 根室本線 釧路〜東釧路 1971.12 釧路川橋梁

月日の流れはアッと言う間に流れもう7月も第3週の水曜日。
第3水は定例の師匠が撮影した現役蒸機の日と言う事で釧路川橋梁を渡るC58の画です。
何の変哲もない橋梁を渡る画を敢えて選んだのは「ランボードのホワイトレター(白帯)」が気になっての選択
この頃(1971年当時)釧路や北見の罐で白帯を入れたC58は何号機なのか?
実のところトップナンバーの1号機も元お召牽引機の106号機も白帯は入れられておらず
唯一33号機だけがG2デフを移植後に施しただけでした。
となるとこの牽引機は何号機か?検索に次ぐ検索をネット上でかけてもそれらしき罐の画像にはヒットせず。
ナンバープレートが識別できずスノープロウと前方ステップの取り付け形状などの特徴がある
戦前型C58と言う条件から絞り込むも特定には至らずお手上げ状態。
そうだ、ネガの原版から識別して貰おうとデータを用意してくれたキツネメ君に問い合わせると
139号機であることが判明したのだが…(さらなる謎が)
今度は139号機に絞って往時の画を探すも白帯を纏う画には全くヒットせずの結果に。
この139号機1960年に米子から転属して来た罐であるが時既に10年以上ではその当時の名残でも無さそう
デフに黒い丸の跡が見えるのが往時の名残、そう後藤工場標準の円形プレートがつけられていた証
これ33号機に盛られたG2デフにも385号機が米子時代に冠せられておりパレオが模した際にも再現されましたっけ。
<参考画像>秩父鉄道C58363装備時のもの。2013.10.18撮影
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ちょっと余談に流れましたがホワイトレターの意味は結局分からず恐らくこの当時一時的に施されたのではないかと。
ここから先はあくまでも勝手な想像ですが…
往時、C581が梅小路に収容される事となり特別保全の保存向け整備がなされることに。
この整備上の一つとしてホワイトレター化を139号機を用いて試験的に実施したのでは?
そして梅小路入りする1号機、その後を継ぎ鉄道100周年記念のスター機として33号機に施し試験実施の139号機は黒に戻されたのではと。
33号機に施したJNRの切り文字も1号機のデフにデザインを変えて施しておりこの辺の事情を想像するのも面白いものである。

この139号機、データベースで履歴を調べると戦時中にメーターゲージに改軌され泰緬鉄道に送られる寸前で制海権を失い
輸送のリスク回避で南方送りを断念し狭軌ゲージに復元され最終最後のC58となる長寿を全うする運の強さ

個人的にもこの139号機には縁が有り池北線の本別から池田まで乗せて貰った事、
自分にとって最後のC58撮影となった1527レの牽引機もこの139号機でした。
今は旧湧網線計呂地駅跡に保存されており状態も良いと聞く。いつの日にか訪れて往時を懐かしみたいものです。

2023_06
21
(Wed)06:00

C6215+C62(機番不明、おそらく3か16号機) 函館本線 小沢〜倶知安(多分) 1971年の夏頃(これも多分)急行ニセコ1号(104レ)

第3水曜日ですので師匠の画を用いての更新です。
当初予定していたのが根室本線のC58画でしたが6月21日とあってはC62でしょうと予定画を変更
しかも621とするには往時呉線から転じて来た15、16号機であれば621と数字が並ぶとあって
この15号機が前補機を務めた際の画を用いてみました。

この画…
時を遡ること51年ほど前、師匠から全紙に焼いたプリントを頂いた画でした。
2号機のパネル貼りを頂いた際にパネル化していない全紙焼きのプリントの中からも一枚頂けることとなり
根室本線のC58やC62三重連などの画の中にこの15号機の画を見出し迷わずこれって選択した画でした。
自作のパネルをこさえて2号機のパネルと共に自室に飾っていたものでした。

さて、この15号機先述の通り呉線電化による余剰で糸崎機関区から僚機16号機と共に
全検切れとなる32、44号機との置換えのため 1970年10月に小樽築港機関区へ転属となったC62
その際、重油併燃装置、従台車、テンダーが15号機には44号機、16号機には32号機の物が流用されたとのこと。
さらに1971年5月実施の中間検査では動輪のタイヤも同様に流用したと、とあるHPに記載されている

動輪四方山話
C622の動態保存を記念して小樽築港機関区にC62の動輪記念碑が造られたのだが
この動輪は何号機のものなのか論議が呼んでいた。
44号機のものと言う説と動輪流用により15か16のものだと言う説
1972年8月に小樽築港でこの動輪碑を撮っており、その際のメモに44号機と記載しているのだが
刻印を見たのであろうか今となっては何の記憶も無い。
(後年、築港機関区廃止に伴い動輪碑は小樽駅横の運転区事務所前に移設されているが刻印は現認していない)

で、15号機の動輪は…
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東京駅のコンコースに飾られて半世紀、これも本当に15号機のものなのか?

動輪のタイヤを流用と動輪を流用では一部と全部の違いが…
でもゴムタイヤじゃあるまいし鉄輪をイチイチ外して入れ替える?
どの道、解体であり鉄屑となる動輪であればサクッと動輪ごと入れ替える方が手間がかからないではないか。
このタイヤ入れ替えか動輪ごとの入れ替えかが号機特定できない所以。
何方にしてもC62の動輪には変わらずなんだからイチイチ気にして論議する必要ナシって思うのですが…
拘る人は拘るんですよねぇ…

さらなる余談…
いつぞやC6215のキャブ掲載ナンバープレートが売りの出されていた。
流石に本物らしくウン百万円の価格。

欲しいか?と訊かれたら…小林製薬(あったらいいね)
でも値段はニトリ(お値段異常)って事で。



2023_05
17
(Wed)06:00

C5833 根室本線 東釧路〜釧路 1972.09頃

第三水曜日と言うことで…師匠ネタの更新です。
C5833が385から後藤デフを移植したのが1971年の8月末頃
のちにJNRの切り文字をデフに施し梅小路入りした1号機に代わるスター機に祭り上げられた道東のスター33号機
取り分け普段より一層のおめかしをしたのが1972年の秋、
鉄道開業100周年記念行事としての釧路機関区一般公開での展示に向けたお洒落で
煙室扉ハンドルを砲金製の十字タイプに換装しナンバープレートを赤地としスター後継としての晴れ姿仕様に。
今回の画はその姿で本線運用に就いた時の模様です。

このお洒落仕様は短期間で元に戻されナンバープレートは深緑地となり
1974年7月の根室.釧網線のDL化に伴い北見機関区へ転出し1975年3月いっぱいまで石北本線での活躍後に廃車
釧網線沿線の町、清里町の羽衣公園で保存となっています(保存の際にナンバーを赤地としてます)

その100周年記念の機関区公開時にD51293も展示されているのですがこれがまたミステリアス
前年の71年夏までは白糠線の貨物(運炭列車)用にD51710が釧路に配置されていたのですが追分へ転出し1972年には配置ナシ
展示された293は追分機関区所属のギーゼル機、書類上の廃車が同年12月と言うことで…
もしかすると(あくまでも個人的な仮説)
追分機関区に710号機を展示用に貸してと頼んだら罐に余裕なくニトメとなっていた293を貸し出したのでは?
なんて半世紀も前の出来事を一枚の画から関連して想像するのも楽しいものですね。

結構いい加減な時期記載などしていますので纏わる情報をお持ちの方は是非ご教示頂けると幸甚です。
2023_04
19
(Wed)06:00

79616+D51 函館本線 小沢〜倶知安 1971年頃

岩内線の貨物運用に就く倶知安機関区の二つ目キューロク
小沢からは山線の運用に就くD51の前に付き一駅区間回送となる

師匠の画を用いて更新でもと思うも撮影日も機材も更には走行路線や区間すらわからない画が多く
車番を特定できないこともあって整理は超難儀、取り敢えずわかる範囲の画を用いてみた次第です。

この先、撮影区間不詳などの画を用いることもあると思いますので
ご存じの場合は「これ知っているよ、○○〜△△駅間ですよ」なんてご教示をよろしくお願いします。

2023_03
15
(Wed)06:00

C581+C58385+C58+FC+PC3B 釧網線 北浜〜原生花園(臨) 1971.07.23 撮影O師匠

C581の動態保存記念と鉄道開業100周年のプレイベントとして国鉄北海道総局が中心となって道内各地で実施された蒸機牽引列車の重連運行。
とりわけ函館本線のC62急行ニセコと釧網線のC58では三重連が企画された。
このC58三重連、先頭の1号機は標準デフ、次位のC58385は後藤工場デフ、そして切詰めデフのC58と言うことでデフ三種のレアな組合せ
恐らく偶然の組み合わせであろうがこの組み合わせを策して運用させたのであればなかなかの企てですね。

北浜の鉄橋、
現役時代にここを訪れる事もないままに蒸機が消えてしまったが復活したC11によるオホーツク号を撮ることが叶う。
そのオホーツク号も短命に終わりこの鉄橋を渡る蒸機がもう一度現れてくれる事を願いたいが路線存続の危機でもあり
儚い夢はきっと叶わないんだろうなぁ…

2022_08
31
(Wed)06:00

C622+C6215+C6216 急行ニセコ104レ 函館本線 仁木〜然別 1971.07.18

半世紀前からお世話になっている我等が蒸機撮りの師匠O氏
昭和45年頃から函館本線、根室本線、釧網線等でC62、D51、C58を主に撮影され
撮り溜めたネガを今回我が竹馬の友が私と2人で使って良いとの言う事で全数授かった。
早速我が友がデジタルデュープ化を開始した第一弾が届きネタ切れの拙ブログにとっては救世主現るとばかりに
その作品を用いての更新です。

今回用いたこの画
実はつい最近まで50年近く我が部屋に飾られていたパネル(往時師匠が写真展で用いたものを頂いたもの)の画
ずっと愛着がありボロボロに劣化しても飾っていたのですが引っ越しの際に破損し廃棄となってしまい
もう見られないと諦めていたのですが今回届いたデュープデータにこのコマを見つけニンマリ
こりゃもうトップバッターに登用するしかないとの思いで用いた画です。

この年北海道総局が企画しD52の重連やC55の重連、C62やC58では三重連が1ヶ月の間で催され
この2号機は倶知安までの運用での三重連として運行された際のものです。

今後数多くの師匠作品をデジタルデュープ化し適宜ネタ使いして参りますのでお楽しみに。