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2024_04
17
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】

D511116+FC+9600(後補機) 石北本線 金華〜常紋信号所 1972.06頃(推定)

第三水曜日に師匠作品での更新も早いもので1年、今回の更新から2年目に突入です。
この1年間は函館本線の山線と根室本線の東線を中心にしたものでしたので
今回は名所の呼び声高い常紋超えを用いてみました。

この牽引機D511116は往時旭川機関区の所属で1972年2月に深川区から異動して来た罐
このネガを手にしたのは1972年12月にて線路沿いの繁り具合から推察して6月から7月にかけての撮影と見立てています。

常紋…私自身は結局未踏の地となってしまいましたが唯一行けるチャンスはありました。
75年のGWに父親を運転手にした一日だけの北見方面への撮影行きを敢行。
その際、常紋か大雪崩れ&湧網かの究極の選択となり質より量を選んだ結果として泣く泣く常紋を諦めた経緯でした。
往時、無煙化の情報は不正確で常紋も大雪崩れもGW明けでと言われていたのですが
後年大雪崩れの方は6月まで残っていた事を知り究極の選択は常紋として
大雪崩れを改めて出直すと言う手もあったようですが全ては後の祭りでした。
その後、JR北海道によって復活C11による蒸機運行があったのですが諸般の事情によりそれも行けずと相成りました。

この常紋で録られたD51と後補機9600の音源(CD化され市販)を聴いた事があるのですがその音を聴き頭に浮かぶのはこの画のシーン
本務機がドラフト音を響かせゆっくりと通り過ぎて往き貨車のレールジョイントを叩く様に通過していく音に
後補機のドラフト音が次第に大きくなって通過して行く…
こんなシーンを実際の生音で味わってみたいものですが叶わぬ夢でしょうかねぇ…

2024_03
20
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】


C58106 根室本線 別保〜上尾幌 ※貨1495レ 1972.03頃

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C58106 根室本線 上尾幌〜別保 ※貨470レ 1972.07頃 ※両画像とも列車番号&撮影時期は推定

C58106号機の履歴
1939.01.09 汽車製造大阪で製造番号NO1664として落成 新製配置は札鉄局室蘭機関区
1943.03 室蘭機関区から釧路機関区へ転属
1954.08.14 網走〜弟子屈間を北海道国体巡幸啓お召列車牽引(C5883と重連)
同08.16-17 弟子屈〜大楽毛、釧路〜帯広間を巡幸啓お召列車の先導列車牽引
1972.08.05 釧路〜帯広間C5833を従えてさよなら列車牽引(422レ)
1972.08.06 池田〜釧路間を前日の折り返しとして運行(425レ)
1972.09.29 廃車 走行2,630,000km
1972.10.02 釧路市幸町公園にて静態保存 現在に至る。

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根室本線のDD51運用の列車を牽引機変更として実施されたさよなら列車を記念しての記念急行券
初めて記念券を購入したのがこの切符であった。

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幸町公園で保存されている106号機 大変良く整備されており保存状態は良好

1954年8月実施の「両陛下戦災復興視察北海道方面および北海道国体(第9回)巡幸啓」のお召列車
道東の北見から釧網線経由で釧路、そして根室本線で帯広までは以下の運行であった。
8/13 北見〜網走間 C5883号機(北見区)
8/14 網走〜弟子屈間 C58106(釧路区)+C5883 先導列車C5862 (当初は106が先導へ充当も62の試運転脱線で振替)
8/16 弟子屈〜大楽毛 C5862(釧路区) 先導列車C58106
 14、16予備機C58119(釧路区)が14日は斜里、16日は標茶にて待機
8/17 釧路〜帯広間 C573(釧路区) 先導列車C58106
この充当が釧路機関区における106号機を至宝としたのか?
機関区としての106号機の扱いは引退にさよなら列車を仕立て廃車後はお膝元の幸町公園へ搬入し
定期的な整備を行い続けるなど愛情籠るものであり同じお召運用に就いた62号機(71.7廃車)より格段に注がれたのは
鉄道100周年の年に引退となったタイミングの良さも関連するとは思うも機関区の皆さんの愛着が一番でしょうね。

札幌から乗ったからまつ号は1972年8月6日朝6時に帯広に到着。
「池田に行って撮って来るか?」と親父に言われるも「いい、帰る」と言って接続する士幌線の始発に乗り換えた事が
半世紀経った今なお悔やまれてなりません。
その数日前小樽築港機関区へ出向きC622、C623と対面した身としては1分でも早く帰り「樋口写真館」へDPEに出したかったのでした。

現在動態稼働中のC58363パレオエクスプレスは本日から今年のレギュラー運行開始
来月中旬には四半世紀ぶりに旧客運用の日程が組まれておりその辺りを目処に休止を解ければと思うところですがどうなる事やら。


画像も多く随分と盛った更新だって?
ええ、ローソクの火は消える寸前に云々って言うじゃありませんか〜(笑)


2024_02
21
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】


C622+C623+C6215 急行ニセコ103レ 函館本線 二股〜蕨岱 1971.09.15

蒸気機関車が牽引する最後の定期急行列車となったニセコ号
長きに渡りC62による牽引(小樽〜長万部間は前補機が就き重連、長万部〜函館間は本務機のみ)が71年9月改正をもって
DD51に置き換えられ優等列車を蒸気機関車が牽く運用が消滅した。
それに伴いおりからのSLブームに加え人気者のC622が退くこともあって3重連による運行が7月から9月にかけ3度実施された。
7月18日と8月22日は104レの小樽〜倶知安間のみ3重連運用としての実施
牽引機はC622+C6215+C6216が各日とも担当となり前々補機となったC622が倶知安で切り離され
函館を朝出発した小樽行きD51の牽く121レの前補機として小樽まで回送された。
一方9月15日の3重連は104レをC622+C623+C6216で小樽〜長万部間での運用
C6216は本務機として104レを蒸機牽引最後の急行として函館まで届けた。
前日の本務機であったC6215は103レを牽き函館を発し長万部で待つC622+C623との3重連でファイナルを務めた。
この最終最後の急行ニセコ牽引に際してはニセコのヘッドマークが掲示されての運行となった。
2021年秋に京都博物館でC622にそのヘッドマークを掲示の上で展示され話題となった事が記憶に新しい。
(3重連往時の鉄道ジャーナル誌の表紙にもヘッドマーク掲示シーンが収められた)

さて今回の師匠作品、そのファイナル3重連を復路撮影の名所とも言える二股川橋梁で捉えたものです。
この区間から蒸気機関車が消えたのは2年後の秋。
牽引機はDD51に代わるも急行ニセコも希少な昼間客車急行として44系から14系客車への向上を図り運用、
函館から小樽岩見沢方面を繋ぐ客レや特急北海などと昭和61年秋まで存続した
一世を風靡した急行ニセコの最終運行は昭和61年10月31日であり何のセレモニーも無い寂しい終焉
一足先に鉄道郵便と鉄道荷物が終焉したため14系客車4Boxだけで一層の寂しさを与えた。

北海道新幹線の札幌延伸に伴う在来線の存続問題により山線廃止の上バス転換で沿線自治体が合意していると聞く
いずれこの区間も一足先に消えた蕨岱の駅同様自然に還る日が来るのであろう。

2024_01
17
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】


C5898+4B+FC 根室本線 別保〜上尾幌 441レ 撮影時期不明(恐らく71か72年の5月頃)

世の中、ホント便利になっておりこの根室東線(花咲線)の撮影地解析に新たなツールを発見。
それは何かと言えばYouTubeの投稿動画、所謂「全面展望」と呼ばれるかぶり付き撮影した添乗動画
パソコン上に地形図を表示しタブレットで動画を再生。
右にカーブしたら小さな鉄橋を越え少し直線区間を行ったら左にカーブ何て地形図上のカーソルと
動画の展望が一致すると面白くなってついつい別保〜上尾幌間14.7kmを見入る。
ちゃんと上下其々動画がアップされているので往復をしっかりバーチャル添乗
途中に写る勾配標識のチェックで勾配の向きを知り得たり保守用軌道車の退避や保線小屋
さらにはトンネルポータルの形状などにより推定の材料が結構解りつつ有ります。
撮影立ち位置のキロポストの解析まではまだしておりませんが根気よくやればそれも可能なのかとも思えるほどの情報量です。

ただ半世紀の時差があり木々が鬱蒼としているとか構築物の更新がなされているとか変化も沢山あるので
経時変化に惑わされないよう変わらぬものを見出すのがコツのようです。
そうそう国土地理院の地形図も今や3D表示させれる事となり尾根の形など変わらぬ物ものの探り出しには便利となりました。

今回のこの画も列車はハザの連結位置から根室に向かう441レであり左側が開け右手に斜面
さらには保線退避の渡りも見えるので別保駅から約6kmほど上尾幌側に行った辺りではと見ております。

余談ですが新たな発見と言えば別保から上尾幌方へ約10kmの辺りに信号場待避線の様な分岐跡と線路があるのを発見
かつてここに信号所でも有ったのでしょうかね?知る方は是非ご教授頂けると嬉しいです。
2023_12
20
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】


C5833+4B+FC 根室本線 上尾幌 混444レ 1972.09又は10頃

根室行きの貨471レと尾幌で交換した混444レは14時22分に上尾幌を釧路に向け発車する。
次の停車駅別保までは14.7kmの道のりであり上尾幌を出て2キロ半ほど先のトンネルまでは緩やかな登り勾配が続く
それに備えてか発車時に投炭が充分になされたようで無風の秋空に煙が盛大に立ち上がっている。

上尾幌発車と特定したのは今年2月の湿原号撮影時の朝練で上尾幌を訪ねて撮ったこの画から
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キハ54525 根室線(花咲線)上尾幌 2023.02.12

駅舎の妻面デザインが同一であること、そして上下線で発着ホームがずれた配置構造の駅であることから
勿論、別保や尾幌などの駅舎の航空写真やネット上で見られる旧駅舎画なども照合しての判断です。
次に列車番号、客車も貨車も見えぬ真っ正面の画から如何にして絞り込むか?
まず駅舎の位置から上りの釧路行きであること、そして光線状態が真っ正面(西側)から受けていることで午後の陽射し
そうなると該当する列車は混444レだけとなる。
そして撮影時期は以前の記事で33号機の仕様変更時期から撮影時期を絞ったのと同じで特に決め手となるのは
煙室扉ハンドルが真鍮製の飾りハンドルである為100周年記念仕様の時期と特定です。

余談ですがJR北海道のキハ40は2025年3月で定期運用から外れることに。
そうなるとキハ54の苗穂入場はどうのような形で行われるのであろうか、まさか40と一緒に54も置換えなのかな。
因みにこの2枚目の画も「普通5624D上尾幌発車」なんですよねぇ〜

2枚目の使用機材
カメラ Canon EOS 5D Mark III
レンズ EF16-35mm f/4.0L IS USM
2023_11
15
(Wed)06:00

第三水曜日【師匠作品での更新】


C58404 根室本線 別保〜上尾幌 1971.11頃(推定)

1967年の9月から10月にかけて四国無煙化に伴い多度津機関区から道内に向け6輌のC58が転属されて来た。
顔ぶれは148、255の2輌が五稜郭機関区へ123、197、319、404の4輌が釧路機関区であった。
この6輌多度津機関区時代はお膝元の多度津工場製の集煙装置を搭載して土讃線などで活躍していた罐であり
道内への移動後はその集煙装置は取り外されるも搭載時に短縮された煙突はそのままだった罐もいた様で
その証が釧路機関区特有のデフから煙突を経由するアーチ状氷柱落としに現れています。
この画の404号機の左デフ上の取り付けステーが外側に向かい斜めに逃す事で煙突部の固定位置を下げているのが解ります
また四国の罐に多かった前照灯のシールドビームもそのままでありちょっと異彩を放ったC58だった様です。

C58404車歴
  1946/11/30 汽車製造大阪 製番2540
新製配置 八王子区 
  1956/11/23 松山区
  1963/04/01 多度津区 多度津式集煙装置取付 
  1967/09/21 釧路区 多度津式集煙装置取外しの上デフつらら落としステー装備・旋回窓取付 
  1972/08/19 廃車

余談ですが…
梅小路のD51200も現役最終の中津川機関区時代に集煙装置を搭載していた罐であり煙突のカットも施されていた。
本線復帰に際する修繕の際に煙突を新製するも元の長さに戻さず短縮された状態での作り直しと聞く
ほんの数センチとは言え折角の機会を見送ったのは何故でしょうね?
2023_10
18
(Wed)06:00

第三水曜日【師匠作品での更新】


C5833 441レ 根室本線 別保〜上尾幌 1972.04頃(推定)

根室に向けた郵便や荷物を積み込んだスユニやマニは常磐貨物支線の隅田川を発して東北本線で青森へ
青森からは青函連絡船で海峡を渡って函館に着く。
函館から急行ニセコ3号(103レ)に組まれ札幌に向かい札幌到着後は21時過ぎに発車する急行狩勝(417レ)にリレーされる
急行狩勝4号は翌朝6時過ぎに釧路到着となりDC急行ノサップを行かせた後の後続列車となる441レに引き継がれ4日がかりで根室に着く

この画、その441レであるが尾を引く煙と蒸気で編成後部に連結されているスユニとマニは見えない。
この画を初めて見たのが半世紀以上前の事、それ以来ずっと釧路に向かう列車だと思い込んでいたのだが
今回、スジを調べたり地形図から立ち位置を探したりしていて客レ(混合列車)は1往復であり
郵便車荷物車が機関車の次位に付くのは釧路行きの編成である事が判った。
この画、機関車の次位はハザの客車であり半世紀に及ぶ思い込みが間違った思い込みと知らしめられた。
そうなると立ち位置も当初は上尾幌側の橋梁からだと思っていたものが別保側であり背景の小さな山が見えることもあり
トンネルを抜けて2つ目の橋梁を南側の斜面から撮ったものではないかと。
推定の撮影時期も72年の11月に初見しておりG2デフ換装にJNR切文字装着で線路端イタドリなどが倒れているが雪が無い
そうなると3月下旬から4月下旬にかけての風情ではないこと言う事で推定の根拠としています。

この441レ返しの444レは混合列車と言う事で後尾に貨車が付くこともあったらしく郵便や荷物の取り扱いを止めた国鉄末期まで
C58からDD51に置き換わっても存続していた列車でした。

2023_09
20
(Wed)06:00
第三水曜日【師匠作品での更新】

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79618+D51(倶) 函館本線 小沢 1971.05〜07頃(推定)

C62重連による103レ急行ニセコと入れ替わりに小沢を発車する貨1146レ
倶知安機関区配属のD51が本務機として運用されているスジであるが小沢から一駅先の倶知安までは
岩内線運用の貨物を牽き小沢到着後構内で待機していたキューロクを前位につけ回送重連として運用されていた。

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倶知安機関区に配属された7万台のキューロク4両は二つ目に加え給水温め器装着の重装備キューロクで人気の罐であった
倶知安機関区の無煙化が1973.10で実施され79613が廃車、79616が旭川区へ79615と79618は小樽築港区へ転属
その後74年に入って79615は小樽築港区で廃車となり倶知安町での保存。
79616は旭川区で1灯化に戻され旭川区無煙化後は追分区へ異動後75年12月まで追分駅入換に従事して廃車
給水温め器を搭載のまま日高町での保存となるも手入れもされず荒廃していると聞く。
74年年明け後の小樽築港区完全無煙化に伴い79618は鷲別区へ転属、この時点で稼働する二つ目重装備はこの79618だけとなる
29633廃車以降罐不足となっていた池田区の補充として74年7月に鷲別からの異動で更に生き延びたのだが…

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79618 池田機関区 1974.10.20
池田ではまさかのフル装備解除となり75年3月末の無煙化で廃車となる。
廃車後新得機関区で疎開留置され未確認情報ではあるが釧路工場へは回送されず新得で解体されたと聞く
新得町にある元狩勝越え機関士大崎氏が運営する大崎ミュージアムにナンバープレートが保存展示されている。

2023_08
16
(Wed)06:00

C58412+3B 釧網線 北浜〜浜小清水 1972.02(推定)

残暑お見舞い申し上げます
3ヶ月予報によると今年の暑さは10月におても平年以上に暑くなると。
どうぞ皆様に於かれましてはまだまだ暑い日が続くご覚悟とご自愛のほどを。

さて1ヶ月が経つのはホント早く第3水曜日の更新と言う事で師匠画の登用です。
今回のチョイスは北浜の橋梁を海側から撮ったものであり前景には着岸した流氷、そしてデフとテンダーに檄文字の団結号
チョイスの意図は涼感&暑さに負けずにガンバローの檄ってことで選んでみた次第です。
前回の釧路川橋梁の号機特定は難儀しましたが今回はある特異仕様が決め手で412号機と判明。
そのとある特異仕様とは副灯の位置、普通は前照灯に向かって左側に装着であるが何故かこいつだけは右側に付く
この檄文字、よく見ると釧網線らしさが伺える。釧路機関区の罐にデフには「斗う北見の同志」
テンダーには「斗う動力車労組斜里支部‼︎」との記載。
おそらく網走駐泊の際にでも記載されたのでしょう。
何?他の文字も読みたいと。
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これなら読めるかな?
労使正常化攻○粉砕!この○の字が読めない…撃?違う違うそうじゃない♩
う〜ん、涼しくなればとの思いでこの画を選ぶも何と記すと考え出したらヒートアップしちゃいそうです(笑)
2023_07
19
(Wed)06:00

C58139 根室本線 釧路〜東釧路 1971.12 釧路川橋梁

月日の流れはアッと言う間に流れもう7月も第3週の水曜日。
第3水は定例の師匠が撮影した現役蒸機の日と言う事で釧路川橋梁を渡るC58の画です。
何の変哲もない橋梁を渡る画を敢えて選んだのは「ランボードのホワイトレター(白帯)」が気になっての選択
この頃(1971年当時)釧路や北見の罐で白帯を入れたC58は何号機なのか?
実のところトップナンバーの1号機も元お召牽引機の106号機も白帯は入れられておらず
唯一33号機だけがG2デフを移植後に施しただけでした。
となるとこの牽引機は何号機か?検索に次ぐ検索をネット上でかけてもそれらしき罐の画像にはヒットせず。
ナンバープレートが識別できずスノープロウと前方ステップの取り付け形状などの特徴がある
戦前型C58と言う条件から絞り込むも特定には至らずお手上げ状態。
そうだ、ネガの原版から識別して貰おうとデータを用意してくれたキツネメ君に問い合わせると
139号機であることが判明したのだが…(さらなる謎が)
今度は139号機に絞って往時の画を探すも白帯を纏う画には全くヒットせずの結果に。
この139号機1960年に米子から転属して来た罐であるが時既に10年以上ではその当時の名残でも無さそう
デフに黒い丸の跡が見えるのが往時の名残、そう後藤工場標準の円形プレートがつけられていた証
これ33号機に盛られたG2デフにも385号機が米子時代に冠せられておりパレオが模した際にも再現されましたっけ。
<参考画像>秩父鉄道C58363装備時のもの。2013.10.18撮影
20230718163114421.jpeg

ちょっと余談に流れましたがホワイトレターの意味は結局分からず恐らくこの当時一時的に施されたのではないかと。
ここから先はあくまでも勝手な想像ですが…
往時、C581が梅小路に収容される事となり特別保全の保存向け整備がなされることに。
この整備上の一つとしてホワイトレター化を139号機を用いて試験的に実施したのでは?
そして梅小路入りする1号機、その後を継ぎ鉄道100周年記念のスター機として33号機に施し試験実施の139号機は黒に戻されたのではと。
33号機に施したJNRの切り文字も1号機のデフにデザインを変えて施しておりこの辺の事情を想像するのも面白いものである。

この139号機、データベースで履歴を調べると戦時中にメーターゲージに改軌され泰緬鉄道に送られる寸前で制海権を失い
輸送のリスク回避で南方送りを断念し狭軌ゲージに復元され最終最後のC58となる長寿を全うする運の強さ

個人的にもこの139号機には縁が有り池北線の本別から池田まで乗せて貰った事、
自分にとって最後のC58撮影となった1527レの牽引機もこの139号機でした。
今は旧湧網線計呂地駅跡に保存されており状態も良いと聞く。いつの日にか訪れて往時を懐かしみたいものです。