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2021_04
14
(Wed)06:30
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番号 DE15 2504号機
製造所 日本車輛製造豊川工場
製造番号 第3286号
製造区分 昭和51年度第1次債務車
仕様 A寒地仕様
履歴
昭和52年10月14日 岩見沢第二機関区新製配置
昭和62年4月1日 JR北海道 空知運転区配置
平成6年10月25日 旭川運転所配置(空知運転所廃止のため)
平成6年11月1日 廃車、旭川運転所

C11によるSLニセコ号やSLオホーツク号などで補機として活躍したDE151520のメーカーズプレートと言うことで
入手したのだが調べてみると製造番号が合わないではないか。
製造番号3286は2504号機と判り何となく記憶が…「あっ、C623の補機として走ったカマだ!」と思い出す。

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C623+DE152504+スハフ44系5B 函館本線 然別〜銀山 1990.08.14


使用機材
カメラ MINOLTA X700
レンズ ROKKOR MC28mm f/2.8
フィルム KL

当の1520号機は廃車後も苗穂工場で車籍の無い機械として場内スイッチャーとして活躍中とのこと。
ナンバープレートがキオスクの通販に登場するもメーカーズプレートは付けたままで売りに出ておらずである。
偶然とは言えC623と組んだ一枚を撮っている2504号機のプレートで結果オーライと言うことでしょうね。



懲りずに鐵/板ミュージアム 「rail-board.fan Museum 」を開館しました。

2020_03
09
(Mon)06:00
マイコレクションとしていくつか所有するサボや愛称板を通じて回顧的な記事を綴るシリーズ「TETUITA memoris」
そのボリューム6は…特急北海の愛称板です。

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キハ82系 特急北海 函館本線 朝里〜張碓 1980.11.22

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キハ82系 特急北海 函館本線 張碓〜銭函 1980.11.23

使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 200mm f/3.5

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キハ82が晩年担当した道内の特急5列車の中で一番縁遠い存在だった「北海」なのに
3枚もの愛称板を所有しているのには訳が…
実のところ「北海」として収集したのでは無くこの3枚裏面は「おおぞら」「北斗」「おおとり」
本人的には殆ど、いや完全に「北海」はおまけ(笑)

そんな訳で特急北海の走行写真もC56160による北海道鉄道開通100年記念運行の撮影時に
おまけで撮ったものです。

この数年後、函館本線の札幌〜長万部間、所謂「山線」から優等列車が全て消えることとなり
DD51の牽く急行ニセコは何度か撮りに出掛けるも北海を求めることは無かったので
北海を撮った画は結局この2枚しか無く今にして思えば撮りに行くべきだったと悔やまれてならない。
2019_09
06
(Fri)06:00
愛すべき数字だけの変な機関車

1975年4月に無煙化された帯広運転区
曖昧な記憶ではあるが櫛の歯が抜けるが如くDE10への置換えで堕ちていった
キューロク達を時系列に思い出してみた。

3月初旬 59683 転属を前提に1休
3月19日 59690 士幌線運用を最後に廃車前提の2止
3月末日 39670 59672 廃車前提の2止の上で東4条の砕石引き込み線に留置
4月1週目 士幌線、広尾線でDE10置換えに向けた協調試運転開始
4月2週目 士幌線上士幌運用、広尾線DE10に置換え
4月13日 59611 士幌線さよならロータリー号牽引
4月20日 49604 士幌線音更運用終了にて無煙化達成
5月3日 19671 9654 による広尾線さよなら列車牽引

2月末から3月にかけた労使交渉によりDL置換えの日が決まるとあれよあれよと言ううちに我が故郷の煙
愛しの数字だけの変な機関車達が消えて行った。

帯広運転区のキューロクによる最後の貨物を牽いた49604には少々思い入れが…
それは以前にブログ記事で記したが4月13日の士幌線さよならロータリー号を追っかけず
音更までの貨物を撮って我が故郷の無煙化を見送ることにしていたのだが
その貨物を牽いたのが49604であり、カメラ小僧が走るキューロクを初めて撮った際の罐も49604であった。

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士幌線 木野〜帯広 1975.04.13(再掲)

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池田機関区 1974.03.17

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広尾線 愛国〜北愛国 1974.11.23(再掲)

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士幌線 木野〜帯広 1973.11(再掲)

あの日、学校の帰り道小学3年生の目に止まった駅で佇む蒸気機関車
それが数字だけの変な機関車でありのちにそれがキューロクと言う機関車だと知り
毎日の日課とばかりに学校帰りにキューロクを眺めたあの頃
その日々が今の鉄道趣味の発端であり、もし仮に帰り道の途中に駅が無かったら
こんな趣味にハマってなんかいなかったと思える程の運命的なキューロクとの出会い。

それだけに59672のプレートが手に入って大喜びしたのも束の間
今度は49604の出物が…

「よせ!散財したばかりでは無いか!夢は44年にして叶ったじゃないか!」と真っ当なクマが叫ぶのをかき消すように
「59672と49604の44年ぶりの邂逅を成しとげよ!それが使命だから導かれたのだ!」と悪っクマが叫ぶ
気がついたらクリック一発で我が手に…

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画してここにその使命を遂げてひぐまと59672と49604の44年ぶりの邂逅となったのであった。
(これを人は馬ッ鹿じゃね〜と呆れ果てるのでしょうね)


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2019年のキューロクの日を前に次期機材購入資金として蓄えたヘソクリは古びた鉄板に置き換わったのでした〜
44年ぶりの邂逅 (完)
2019_09
04
(Wed)06:00
マイコレクションとしていくつか所有するサボや愛称板などを通じて回顧的な記事を綴るシリーズ
「TETUITA memoris」そのボリューム4はキューロクの日プレ企画

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1975年4月に無煙化された帯広運転区
この無煙化まで配置されていたのは8両のキューロク達
転属して生き延びた9654以外は帯広運転区で火を落とし廃車となった。
保存されるもの、解体処分されるものと運命はそれぞれに…
当時、廃車を前提に二止めとなった罐のナンバープレートが外されるのを眺め
寂しさとともに出来るものならその一枚を手に入れたいと思うもの
そんな都合のいい話はなく夢のまた夢であった。
あれから44年の時が流れ、まさかの出物で59672のプレートが我が鉄部屋にやって来た。

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この59672は現在、狩勝峠越えの旧線、新内駅跡の施設に20系寝台車を従えて保存されている罐
保存時のプレートは新たに作られたものらしく、現役時代のプレートは人手(多分国鉄関係者)に渡っており
それが巡り巡って我が手にやって来たのである。

59672は士幌線や広尾線、根室本線の帯広貨物ターミナル等で何度か撮影しているのだが
士幌線の黒石平で撮った俯瞰、上士幌で撮ったマヤ検など本人的には「貴重」な分類のネガがそっくり消失
手元に残るのは広尾線の幸福駅や帯広近郊で撮った物だけ。

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帯広運転区 1974.10
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帯広運転区 1973.12
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広尾線 幸福駅 1975.03.16 (再掲)

それでも小学校の帰り道に毎日見かけた「数字だけのへんな汽車」の一両であり少年期の思い出の罐
そんな機関車のプレートと共に過ごす時間が出来たこと、44年ぶりの邂逅が叶ったことに幸せを感じてます。
(これを人は物欲に溺れると言うのでしょうね〜)

9月4日更新にてプレ企画とした「キューロクの日」
明後日の6日は「44年ぶりの邂逅 Part2」として更新予定です。
2019_07
31
(Wed)06:15
マイコレクションとしていくつか所有するサボや愛称板を通じて回顧的な記事を綴るシリーズ
「TETUITA memoris」そのボリューム3は…
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「SLはこだてクリスマスファンタジー」の愛称板です。

🔷暑中お見舞い申し上げます🔷

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C11207+14系4B+DE101690 函館本線 大沼公園〜赤井川 2011.12.11(再掲)

今回、敢えてこの列車をフューチャーしたのは暑中お見舞いの一枚として冬物登用から
一服の清涼剤となって頂ければ幸甚です。

この列車は1998年から開催されていた函館青年会議所が主催する
はこだてクリスマスファンタジーに協賛し
2010年から2014年の12月に函館〜大沼公園間(回送の関係で赤井川まで運行)に
1日2往復で運行されたクリスマスイベント列車です。
2010年の運行時に行けなかった身としては狙いは一本、
この日暮山からの見下ろし。
これが撮りたくて出かけた思い出の列車です。

これが撮りたくて…
かつて鉄道ファン誌で紹介されたここから撮った冬場のD52、
モノクロ見開き写真は正に衝撃的
既にこの区間が無煙化となった直後のことだけに
もう絶対に撮れないものと思われたこの冬景色と蒸気機関車
40年近くの時が経ち、これが叶うとなれば行くしかあるまいと
朝方膝くらいまで降り積もった雪を一歩一歩噛みしめるように
歩みを進めて辿り着き収めた一枚
それだけに思い入れがあるのでした。

先日乗車したJR東の新幹線、広報誌に「鳥瞰図」の記事があり
吉田初三郎氏の描いた大沼の鳥瞰図をパチリと撮って見ました。

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よく見ると日暮山の表記が小暮山って…(鳥瞰図左手中央の青い山)
吉田さんの記載間違いなのか?
かつては小暮山と呼ばれていたが日暮山に改名したものなのか。
謎が深まるが、鳥瞰図は板ではなく紙ですので気にしないことにしましょう。




2019_07
29
(Mon)16:30
マイコレクションとしていくつか所有するサボや愛称板を通じて回顧的な記事を綴ってみようかと思います。
名付けて「TETUITA memoris」そのボリューム2は…
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特急「ライラック」の愛称板です。

このライラックは1963年6月改正でDC急行として札幌、函館間に登場
1968年10月改正でDC急行ニセコにスジを譲り一度その名を消滅させるも
12年後の1980年10月改正で旭川〜札幌〜室蘭の運用で特急いしかりと急行ちとせを統合して
ライラックを名乗る列車が特急として復活。
この特急には当時の国鉄が北海道向けに新設計した781系が充当された上でのデビュー
室蘭本線電化で室蘭まで乗り入れることとなったライラックは
唯一の現役蒸気機関車となった鉄原のS-304と御崎駅で邂逅するシーンも見られた。
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781系特急ライラック 鉄原コークスS-304 室蘭本線 御崎 1981.01.15 (再掲)

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781系特急ライラック 千歳線 千歳空港(現南千歳)〜美々 1991.03.30 (再掲)

この781系によるライラックの運用も四半世紀に及ぶこととなり車齢やサービス強化の面で
後継のホワイトアロー号運用で誕生した785系に路を譲り2007年10月改正をもって置き換え
現在では更に785系をスーパーカムイの運用車である791系(一部海峡線からの転属791系も)の運用となるも
そのライラックの名は北海道を代表する列車名として継承されている。

思い出としては千歳空港に行く際に乗車したこともあるが
やはり御崎駅での蒸機との邂逅でしょうか。狙って撮った訳ではなく単なる偶然ですがいい思い出です。
悔やまれるのはネガカラーでの撮影で褪色激しくカラー再現できないことです。




2019_05
25
(Sat)08:26
マイコレクションとしていくつか所有するサボや愛称板を通じて回顧的な記事を綴ってみようかと思います。
名付けて「TETUITA memoris」そのボリューム1は…



1988.04.29〜1995.11.03の期間に於いて新たな山線伝説を綴った
快速 SL C62ニセコ号の行先表示板と列車愛称板

「小樽ー倶知安」の紺帯差込サボは運行開始からの2年間、倶知安折返し時代の板
「小樽ーニセコ」の紺板吊りサボがその後6年間にわたり運行されたニセコまでの運行時代の板

この8年間で山線へ詣でた日数が129日間
もっとも、道民時代だった88年から91年にかけた4年間でその9割方を占めていた。
この吊りサボ、運行最終日となった95年11月3日使用の鉄文協による証明書が発行されているが
確か最終年は運行日数も少なく在庫数量の兼ね合いもあってサボ・愛称板の販売をしなかったはずであり
実質的には丸まる一年間使用された板の筈である。
その証とも言える煤の痕がサボにも愛称板にもこびりついており24年経った今でも
あの頃嗅いだシンダの匂いを思い出させてくれます。

そのシンダを思いっきり被り頭がザラザラになったのがこの撮影時

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C623+スハフ44系5B 函館本線 小沢〜銀山 1990.07.08

使用機材
カメラ MINOLTA X700
レンズ ROKKOR MD50-135mm f/3.5

所謂、線炉端、犬走りと呼ばれる道床脇にある細い通路の更にハジから撮ったものであるが
当時は余程線路側へはみ出さない限り大目に見られていたが、今では全くのNG立ち位置
鉄道敷地内への立ち入りは撮影は元より通行も含めて「犯罪」ですので絶対に為さらないように願います。

この205km小沢遠方信号へは旧岩内線の跡を進み一段高い位置にある函館本線へと斜面に続く作業道を行くのだが
爬虫類との遭遇もしばしば、いつぞやはその御身を踏んでしまい「コリっ」とした感触に「ウリァ〜!」と猛ダッシュ。
当時、カール・ルイスかベン・ジョンソンかと言われた俊足ランナーをも凌駕するほどの逃げ足と一緒に行った面々に言われたほどでした。

最近は歳を重ねたせいからでしょうか、往時の物や写真などを見るたびにその頃の思い出が過ってきます。
まだ思い出せるだけ健康の証と捉えTETUITA memoris Vol.2へと進めて行きたいと思いますので
お付き合い頂けると幸甚です。