2015_01
    10
    (Sat)08:00
    20150102-IMG_5417.jpg
    キハ40系2連 江差線 吉堀~渡島鶴岡 1989.10

    禅燈寺は明治33年(1900年)に建立された寺院であり
    大正7年には楼門(山門)を建立。
    左に密迹金剛・右に那延金剛の2体の仁王像を従える
    仁王像は函館に在住した仏師、風間壮慶の作
    山門を抜け本堂に続く参道に踏切があると言うちょっと変わった寺院であったが
    その踏切の路線、江差線は昨年5月に廃止となってしまった。


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    この処の山門シリーズの元祖ってことで・・・しかし画の出来と来たら・・・山門は鬼門だぜぇ~

    2014_05
    12
    (Mon)08:00
    今日から改札上に掲示されるこの行先表示も20140427-5O5A8278.jpg

    車両に挿し込められるサボの行先表示にも
    20140427-5O5A8273.jpg

    江差の表示が消える
    それ即ち、木古内~江差間の廃止。
    Good Bye 江差線。Forever 江差線。



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    撮影 2014.04.27 JR北海道・函館駅

    2013_04
    22
    (Mon)18:00
    20100511-IMG_1444.jpg
    青函連絡 羊蹄丸 1988.09.18

    函館ハリストス正教会を地元の人はガンガン寺と呼ぶ。
    この教会は主の復活聖堂であり、キリストの復活を記念する聖堂である。

    彼方に見える連絡船はこの年の3月13日に青函トンネル開業に伴い廃止となり
    6月3日から9月18日まで1日2往復の復活運航がなされた際の最終日の姿

    差し詰めこの画は、復活を記念する教会と復活を終える連絡船のコラボレーションと言ったところです。

    2010_06
    07
    (Mon)19:00
    皆さん、こんばんは。

    本日、仙台へ出張の身につき
        
        休刊日とさせて頂きま~す!!
    IMG_1422ddw1.jpg

    恒例の休刊日ネタは
    いつもと趣を変えて、思い出の路線として「青函航路」を選んでみました。
    青函トンネルの開業に伴い、1988年3月14日に就航を終えた青函連絡船
    当時、函館に在住していたひぐま、翌日の15日朝に函館港狭しと運行を終え集結した
    多くの連絡船の姿に寂しさとともに、こんなに居たんだと驚きを感じたことを
    20年以上経った今でも覚えております。
    函館港には摩周丸、青森港には八甲田丸、そして東京船の科学館に羊蹄丸が
    今もメモリアルシップとして当時の姿のまま係留保存されていますが
    ご覧になったことはございますか?たまにはその船のデッキに立って往時を偲ぶのも
    いいかなと思うこの頃です。

    写真は終焉間近な運航に就く十和田丸を函館港から撮ったものです。
    2008_12
    30
    (Tue)21:52
    光陰矢のごとしなんて言葉があるように
    あっと言う間に時は流れ、2008年もあと29時間余りを残すだけに。
    一年の単位が切り替わるだけで、1日24時間の流れは過去も未来も変わらぬものであるが
    こうして、年の瀬を迎えると過ぎ行く歳を振り返り、迎え来る新しい1年に期待を抱く
    この繰り返しを飽きる事無く、脈々と繰り返し「歳」が重ねられて行く

    時の流れは、旧き時代を終わらせ、新しき時代を創造し、その新しき時代も
    いつの日にか旧き時代へと変わり、時代のターンオーバーを繰り返す

    かつて、東洋一の規模を誇った扇形庫を持つ小樽築港機関区もその時代の
    ターンオーバーで消滅して行った。
    幼き日に「憧れの聖地」「C62の居る場所」として、夢を抱いて訪れた場所
    そして目の前に聳え立つ大きな、とてつもなく大きなラウンドハウス
    その中に佇むC62、D51、そしてキューロクたち
    DD40D0023aw1.jpg
    夢は儚いものであり、いつの日にか覚めるものでもある
    その大きなとてつもなく大きなラウンドハウスの主たちは黒い鋼鉄の馬から
    紅いマシンへと変わって行ったが
    いつ本来の主である黒い鋼鉄の馬が帰って来ても大丈夫とばかりに
    威厳を保ったまま彼の地に聳え立ったままであった
    本来の主が消えて約7年の歳月が流れても、こうして北帰行したC56を迎え入れ
    約1ヶ月からの滞在をしっかりと受け入れることが出来たものであった。
    DD40D0024aw1.jpg
    しかし、時の流れは黒い鋼鉄の馬から赤いマシンへの時代へ
    ターンオーバーさせただけでは済まなかった。
    新たな時代として、国鉄と言う一家をJRとして分割民営化し
    集約と合理化と言う大鉈が振り下ろされて東洋一を誇った「城」を明け渡すことに。
    IMG_5870w1.jpg
    扉を閉ざしたラウンドハウスにもはやあの栄光の時を思わせるものは何も無くなってしまった
    茜色に染まる空の下、かつての住人C623が佇むものの、その扉は開かれず
    時の流れに逆行したC62と時の流れのままに流されるラウンドハウスとの対比が
    ただただ、物悲しさを語るようであった。
    DD40D0042w1.jpg
    そして、大きなとてつもなく大きなラウンドハウスが主を失い、自らの存在をも否定され
    時代の波、時の流れに飲み込まれるように消えて行った。

    時の流れに・・・
    画像1 現役時代末期の昭和49年1月撮影。
         本来なら前年の10月で無煙化された小樽築港であったが入換えと排雪用に
         49年3月まで、キューロクとD51が数両だけ残っていた。
    画像2 すでに無煙化されDD51の砦となっていた昭和55年11月撮影。
         北海道鉄道開通100周年記念行事として梅小路から借り出されたC56160
    画像3 平成2年7月撮影。
         10月に取り壊しが決まった扇形庫を讃え、「ノスタルジックガレージ」と
         銘を打ってのC62まつりでの撮影
    画像4 平成2年10月撮影。
         大型重機が惜しげもなく解体を始める中、運行を終え帰着したC62が
         ターンテーブルで方向転換。
    2008_07
    18
    (Fri)22:52
    オレ竜さんに競り勝つ強さを見せてくれた我が愛すべき虎さんチーム
    成金兎さんチームが勝ってしまったので「優勝マジック49」はお預けですが
    北京に行かされる新井・矢野・藤川の面々がいる間に
    このまま勝ち星を積み重ねて行って欲しいもです。

    さて、世の中の話題の一つに「消えた年金」なんてフレーズがありましたが
    時間が経つにつれ、怒りが覚める国民性か国会が終わってサミットも終わると
    後期高齢者医療制度とともに完全にトーンが下がっていますよね。

    その年金の使われ方で一時話題となった「グリーンピア」なる保養施設
    全国に13箇所ほどありましたが、今じゃ全て譲渡されて別会計に。
    そんなグリーンピアの中で1箇所「蒸機運行」をしている施設がありました。
    IMG_2276aw1.jpg
    それが、この画。
    これは、当時「グリーンピア二本松」と呼ばれ現スカイピアあだたらの協三工業製蒸機
    B621014号機と言う機関車であり、石炭では無く重油燃焼による運行である
    2002年にグリーンピア二本松が閉鎖され、二本松市が譲渡を受けてスカイピアあだたらとして
    再起したのが2004年、この間は運行休止であったが、この春の市議会で予算削減の対象となり
    2008年度からの運行は廃止されてしまった。

    こんな山間の高原を行くダブルルーフの客車を牽くナローだったのに
    所詮、遊具施設扱いなんでしょうが、なんだか「モッタイナイ」話となってしまいました~

    因みに号機の数字は開業日の昭和62年10月14日からのネーミングとか
    鉄道記念日に開業だなんて・・・だから、国鉄と同じ運命を辿ったか?
    2007_02
    28
    (Wed)23:26
    早いもので明日から3月である。
    昨年の今頃、銀河線の終焉間際で思い出のある路線が
    消えて行くのを惜しんだものである。

    さて、今年もまた…
    風情のあるローカル私鉄が消えて行く
    今月末で宮城のくりはら田園鉄道と茨城の鹿島鉄道が
    惜しまれつつも姿を消してしまう。

    くりはら田園鉄道はまだ栗原電鉄時代
    仙台に赴任していた頃何度も仕事で栗駒に行き
    その姿を見ていたが、休鉄中の身で撮影はしていなかった。
    今思うと悔やまれるあの仙台時代である。

    そして、もう一つの鉄道、鹿島鉄道。
    ここには特別な思いはないのだが
    関東に移り住んだ当初、元夕張鉄道のキハ251を見てみたく
    8年ほど前に1度行ったことがあった。
    昨年、廃止の話が出始め場合によっては存続も有り得ると言うことで
    期待していたのだが、やはり廃止と決まってしまった。
    昨年の夏に2度目の訪問をしたが
    キハ714(元夕張鉄道キハ251)は元気に走っていた。
    ここには他にキハ600(元国鉄キハ07)や
    キハ430(元加越能鉄道)の旧式気動車が今なお現役で活躍している。
    勿論、新鋭のレールバスも配備されていて
    機関区においてはまるで模型のレイアウトを見ているような
    車輌配備と雰囲気のある場所であった。
    kasima1.jpg

    kasima2.jpg

    kasima3.jpg

    JR常磐線の石岡駅から連絡する鹿島鉄道のホーム
    なんとも言えない時間が止まった雰囲気であった。
    そのホームから見える石岡機関区
    引き込みポイントが綺麗に分岐しているのがまたいい
    kasima8.jpg

    機関区事務所と検修庫が一つになった建物があり
    その裏手には車輌機関庫がある。
    kasima7.jpg

    kasima9.jpg

    鉾田からの列車が石岡に到着すると
    折り返しまた鉾田に向かう列車となる
    kasima6.jpg

    kasima4.jpg

    以前は百里基地の燃料輸送をDD13が担当していたが
    鉄道による輸送を廃止したため3両いたDD13は1両のみの配置となった。
    以前は茶色いDD13であったが
    残った1両は赤に塗装を変更して今に至っている
    湘南顔と言われた非貫通の2枚窓DCは
    この鹿島鉄道に残る2形式3両だけとなった日本の鉄路
    いよいよこの顔を見られなくなる日がやって来る
    なんとも残念なことである。
    これからの1ヶ月は廃線へ向けてのカウントダウンで賑わうことであろう。
    元夕張鉄道のキハ251…
    是非とも生まれ故郷の北海道へ戻して保存して欲しいものである。
    kasima5.jpg

    2007_01
    08
    (Mon)23:12
    aaa1.jpg

    今日は成人の日である。
    TVのニュース番組で夕張市の手作り成人式の模様を見た。
    財政破綻した地方都市の夕張
    かつては炭都として栄えた地方都市も
    産業城下町故に基幹産業が無くなると繁栄と言う言葉は
    過去を指すように過疎化して寂れて行く
    そんな中で、今年成人式を迎えた方々が
    全く無いと言っていいほどの予算の中
    自らの手で成人式を挙行した。
    きっと人生の大切な思い出を綴ることができたであろう
    少なくとも逮捕者がでるような恵まれた都市での
    成人式とは重みが違うのだから。

    さて、画像のDL
    これは三菱石炭鉱業大夕張鉄道のものである。
    夕張市の基幹産業であった炭鉱の運炭列車であり
    特に南大夕張鉱は相次ぐ閉山の中で近代化を図り
    生き残り炭鉱として躍進するはずであったが…
    85年5月のガス爆発事故、そして円高から国内炭の
    価格3倍増と言う向かい風を受け88年に閉山した。
    この鉄道は閉山より少し早い87年12月で廃止となった。
    客車などは清水沢の駅に保存されたが
    DLは部品として転売されたのか現存していない。

    20070108230751.jpg

    大夕張鉄道がDL化されたのは73年のこと。
    それまで走っていた9600が
    石炭の歴史村、SL館で保存されているが
    このSL館も昨年10月で閉館
    今後の行く末が心配である。

    頑張れ夕張と声援を贈りたい。
    2006_12
    12
    (Tue)18:45
    ebisu2.jpg

    先週の週末から
    札幌~小樽間にC11207による
    クリスマストレインが運行を開始した
    札幌~小樽間は石狩湾に面しての走行となり
    海とSLが組み合わせることができる

    復活C623時代もこの区間は
    回送が走っていたが専ら夜間か早朝
    交番検査で苗穂に戻る単機回送を狙ったのがこの1枚
    8月の早朝で朝日が当る予定が生憎の曇り空
    露出は極めて厳しくかろうじてカマが判る程度となる
    晴れた日に撮影したかったが結局チャンスは巡って来なかった
    1990年8月撮影

    おまけで恵比須島が判る1枚
    20061212184408.jpg

    左に見えるのが恵比寿島
    これは1980年11月撮影