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2018_12
29
(Sat)06:00

C5833 池北線 高島 1974.12.29

使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 55mm f/1.7

昨日の記事から1年と1日後、今からは44年前の今日12月29日は…
なんて、調子にのってモノクロ撮影のカラー化をもう一丁

池北線にC5833が入線するとの情報を得て竹馬の友と隣町の池田へ
機関区でその33号機や装備解除の79618などを撮影し、
北見に戻るC5833が牽く貨物は池田駅の外れから発車シーンを撮影。
傍で撮られていた池田郵便局にお勤めの方から
「高島の発車を撮りに車で追っかけるけど乗って行くかい?」と声をかけて頂き
そこは迷わず「ありがとうございます!よろしくお願いします!」と。
この日は快晴なるも気温は上がらず雪を踏むたびにギュッと音がするほどの冷え込み
撮影後、高島駅のトイレに行くと「東や西に散ららすな南る人が北ながる」と
注意書きがあった事まで記憶は蘇る。
44年間モノクロの中にあった空の色と煙の色が指一本で蘇るとは便利な世の中になったものですね。
2018_12
28
(Fri)06:00

19671 帯広駅構内 1973年12月28日

使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 55mm f/1.7

ネット上で無償頒布されているモノクロ写真のカラー化ソフトを利用して
45年前の今日を天然色で蘇らせてみた。

北海道のローカル支線の蒸機と言えばキューロク
道東から道北にかけては支線の貨物を牽き主要駅では入換作業も
道央においては入換の主役はキューロクであったあの頃
どのキューロクも警戒色仕様、所謂トラ塗りばかりであった。
道央に於ける入換用のキューロクではテンダー側面までもがトラ塗りであり
前から見ても後ろから見ても、更には横から見てもトラトラトラ

そんなド派手なキューロクが帯広運転区に転じて来たのは1972年の秋であった。
新津から転じてきたデフ無しパイプ煙突そして警戒色無しの黒光りすらする39697との
トレードで追分機関区からやって来たのがこの19671であった。
転入から一年余りが経ち警戒色も煤にまみれて目立たなくなったとは言え
テンダー側面のトラ塗りは健在であった。
ネガアルバムのメモを見ると1973年のこの日
冬休みに入ってヒマを持て余したのか竹馬の鉄友と帯広運転区に
お邪魔してキューロク達を眺めていたようであるがそれ以外の記憶は蘇っては来ない。
記憶の薄れに乗じたのであろうかモノクロのカラー化もすっかり薄れた色にしかならず
タイトルに偽りありってところでしょうかね。
2018_12
14
(Fri)06:00

D51345+無蓋貨車 5797レ 1975.12.14

使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 200mm f/3.5
フィルム コダックTRY-X

43年前の今日12月14日
C57135の牽くサヨナラ列車を撮った足で追分駅から機関区をも見下ろす丘の上に立ち
営業運転列車の無煙化まであと10日とカウントダウンが始まった夕張線のD51を狙う
惜別の念で訪れていた多くのファンに見送られる中
盛大な煙を吐きあげD51は炭都夕張へ向け出発して行った。

2018_09
05
(Wed)06:00

9654 根室本線 帯広駅東入換仕業 1973.12.28


使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 55mm f/1.7
フィルム 上)フジカラーf100 / 下)コダックトライX

更新は毎週水曜日なもので1日早いキューロクの日として9654の入換シーンです。
この9654、大正4年1月生まれで廃車が昭和51年の3月と車齢61年を数えた
現役キューロクで一番長生きした罐(保存機となった9633は除く)である。
右運転席改造で本線運用は皆無であったが広尾線のサヨナラ列車で次補機に就いたのは
長生きした老兵への計らいだったのであろう。

20180904233041aee.jpeg
19671+9654 広尾線 愛国〜北愛国 1975.05.03

2018_08
01
(Wed)06:00

C57135 223レ 室蘭本線 登別 1975.08.01 (再デジタル化&現像による再掲載)

使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 200mm f/3.5
フィルム FUJI NEOPAN SSS

2018年の夏
山陽線が復旧するまで阿東路にC571の走りは見られない。
来年初夏まで修繕と定期検査が続き磐西にC57180の走りは見られない。

43年前のこの日
このC57135の他、38、57と3両のC57に牽かれる列車を見て撮った。
44、144を加えた5両のC57にとって最後の夏であったが
そこには日常と言うごく当たり前の光景があった。

135号機と次に会えたのは正しく最後の走りとなった12月14日の225レであった。


2018_05
05
(Sat)06:00

69620 湧網線 常呂〜北見共立 1990レ

使用機材
カメラ KONICA C35
レンズ HEXANON 38mm f/2.8

「そだね〜」や「モグモグタイム」と言った言葉がTVを賑わせた平昌冬季五輪
流石に季節がめぐり春になり勢い初夏かと言う程になるとすっかり過去の流行り言葉
一躍注目を集めた常呂町もまた静かな田舎町に戻った感が否めませんが
43年前の5月5日、その常呂町でトラ塗りのキューロクを撮っておりました。
前月の4月に地元の士幌.広尾.池北線の罐が消え石北.湧網線も風前の灯とのことで
GWに出かけ何とか間に合った湧網線、今となっては行っておくことが出来良かったと
写真を見るたびに思えてなりません。

ぜっきあいずさんの 号外⁉︎「43年前の“今日”へ」 - 常呂 -にインスパイアされ
今日まで温めこの日が来るのをじっと待っていたら旬を外してしまいました〜(笑)

2018_02
18
(Sun)15:00

D51345 夕張線 追分 5797レ 1975.12.14

使用機材
カメラ Canon EX AUTO
レンズ EX50mm f/1.8

かつて鉄道の要所として機関区や運転区の所在した町を「鉄道の町」と呼んだ。
地方の小さな町にとって町民の数が国鉄職員やそのご家族の占める割合が高くなるので
そう呼ばれることが多かったようである。
ここ追分もその代表的な町であり線路脇に並ぶ鉄道官舎の数がそれを物語っていた。

蒸気機関車による本線運用も残すところあと10日となったこの日も
炭鉱(ヤマ)の町夕張を目指すD51が日常(いつも)通りに官舎に見送られ駆けて行った。


2017_08
17
(Thu)13:15
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室蘭本線 栗山駅 1975.7.29

鄙びたローカル駅で客レ同士が往き交う
客車列車が当たり前に走っていた時代では上下列車の駅交換や複線区間での邂逅などが
それこそこれも当たり前のように見られたものであった。
時が流れ、効率化や駅構内線や施設の省力化などで客レから気動車や電車への置換えが進み
今や客レはイベント列車、主に復活蒸気機関車による牽引でしか見られないものとなってしまっている。

JR東日本では2系統の客車を保有し既に何度か邂逅をイベントとして実施しており
複数の機関車や客車を保有する大井川鉄道に於いても何度か駅交換シーンがある列車運行をしているが
どちらもここ数年はそのようなイベントは企画されていない。
そんな中、JR西日本がやまぐち号の客車を古き佳き時代の客車をモチーフに新製し
従来のレトロ客車と置換えを行うこととなった。
新しい旧客風新造客レのデビューとレトロ客車の最終運行を上下の列車交換が為されるスジとし
共にSLが牽引するという幕末維新やまぐちDCの目玉企画であったのだが…

先般、重連運行日の前日に起きた「長門峡」駅接近を示す標識の無断撤去(持去り)のせいか
加熱する趣味人の動向を察知しその回避を目的としてなのかは解らないが
SL同士の交換が、SLとDLによる列車牽引に変更されたと言う。

もし、それらの事が起因しての変更であれば…
7月のプレス発表後直ぐにレンタカーとホテルの予約をした身としては行くか見合わせるか悩ましい限り
もっとも、体力と気力が衰えたままの身ゆえにSL同士の篠目駅交換と言うモチベーションが消えると
答えは見合わせと決まったようなものである。
2017_06
28
(Wed)06:00


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C58391 池北線 勇足駅 1974年1月撮影


昭和17年、教職の身を捨て一人の男が作詞家を目指し教え子達が見送る中この駅から上京
戦前は成功せずも戦後の歌謡史に名を馳せるほどの作詞家になった。
それが女のためいきや長崎ブルースの作詞家、吉川静夫氏である。

今回頂いたコメントから、その方へ御礼の意を込めて更新です。
Sさん、どうぞお使い下さい。