

岩見沢第一機関区 1975.07.29


追分機関区 1975.12.14 D51320 1975.07.29



帯広運転区 1973.11.23 59690&19671 1973.12.28
使用機材
カメラ MINOLTA SRT101
レンズ MC ROKKOR 55mm f/1.8
レンズ MC ROKKOR 200mm f/3.5
北見機関区のC58やD51たちから、おうちに居ようrelay
コロナ禍により出された緊急事態宣言
外出自粛要請STAY HOMEで帰省も出来ぬ身となった今年のGW
「大人しくして居なさい」と自己暗示をかける意味合いから始めたSTAY HOME企画
いよいよGWも今日で終わりとあって9日間の連載もこれが最終回
最後は思い入れの多少ある機関庫そのものにスポット当ててSTAY HOMEしてみます。
岩見沢第一機関区
この機関区の煉瓦矩形庫は心くすぐる存在でした。何せ幼少期からこの機関庫を急行狩勝や特急おおぞらの車窓から眺め
D51やC57を見つけるのが旅の醍醐味でした。D51の一次形(ナメクジ)なんぞ見かけたら大興奮
札幌到着間近に見られる苗穂機関区共々「世界の車窓から」を楽しむポイントでした。
追分機関区
この機関区の扇形庫、煉瓦壁と木造部の組み合わせが趣があっていい存在感でした。
私にとって現役蒸機撮影の最終日となった 12月14日に丘の上から眺めた情景は何とも言い難い万感の思いが込み上げる情景でした。
翌年4月の火災によりこの趣のあった機関庫は焼け落ち鉄道の町追分と呼ばれた追分機関区で
一生涯を過ごし蒸機牽引最終列車となった6788レを牽いたD51241を焼失させてしまい
代機となって追分町に保存され今にも走り出すのではと言うほどのコンディションが保たれているD51320も
こうしてSTAY HOMEで佇んでいた事もありました。
帯広運転区
ここは我がホームグラウンド、何度お邪魔したことやら。この木造複線矩形庫は採光窓のある越屋根作りが堪らない。
壁も扉も木造でありこの古風な作りにキューロクが佇むと趣が一層しっくりくるものであった。
この運転区の裏手には十勝鉄道の大通駅があり稲田の日甜工場まで貨物の専用鉄道が通じて居た。
ここのDL機関車も昭和30年代生まれの古びた機関車でこの界隈の佇まいにマッチしていた。
道内にあった機関区や運転区の機関庫も区の廃止や車両無配置化などで次々と淘汰され蒸機時代の生き残り唯一の機関庫だった
苗穂の扇形庫も数年前に解体されてしまい蒸機全盛期の遺構も無くなってしまった。
長々と記してしまったがGW期間中この更新があったからこそ外出はスーパーへの買い物だけで過ごす事ができ
協賛していただいた皆さんとのコミュニケーションが図られたことで鬱にならずにも済みました。
あとは、もう少しの我慢と工夫でコロナを収束させ平常の世を取り戻すだけです。
宣言が延長されてしまいましたが企画更新の延長は致しません。
お付き合いいただけました皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
繋げようSTAY HOMEおうちに居ようよの輪
MyoldSteamers煙を求めて幾千里豆粒汽車ぽっぽ銀『塩』鐵道の夜Facebook Twitterでご参加のみなさんも含め数多くの連鎖反応ありがとうございます。